『100年先もいらっしゃい。丸亀商店街』
藤原行照 (岡山政経塾 15期生)
潮風にあたりながらの「フェリーうどん」何年振りだろうか?
やはりフェリーに乗ったら外せない。ゆでめんを使っているので、あまり美味いものではないが、とても懐かしい気分になった。瀬戸内海の島々や遠くながらも瀬戸大橋も見渡せ、宇野港・高松港での他のフェリーとの競演や、宇野出航直後の三井造船の遠景もツボにくるものがあった。
中学時代はよく高松に行っていた、どのような姿で迎えてくれるのか。とてもワクワクした。
全国に12000箇所と言われる商店街、下町の人情味溢れる商店街の再生には、豊後高田市の「昭和の町」、さりげない挨拶や、試食の提供など、お客様とコミュニケーションをとりながら商売をする姿、昭和時代の良さを感じ、急ぎ過ぎた日本に「何か大切なモノ」を伝えてくれた。
また、「おかげ横丁」では、基本精神を「神恩感謝」(= 謙虚な気持ちで今あるものをありがたいと感謝する)と定め、商品の誠実さ、本 物の味にこだわり、一店舗ごとの個性を大事にしつつ、参拝客に喜んでいただけるサービスを続けることで、最も伊勢らしく輝く地域を作り上げた。 「伊勢らしく」というものの、伊勢限定にこだわっているわけではない。他地域の商品であっても、その商品の誠実さや本物の味にこだわっていた。
丸亀商店街ドームの下で、素晴らしい演奏でまず迎えてくれた。今考えると、待ち合わせ場所になるし、よく言えば待ち合わせスポットになる、誰でも迷わずに行けることが商店街のシンボルとしてすばらしいデザインでした。
このことは、商店街のシンボルを何にするのか?というこれからのあり方に、良いヒントを与えているものだと感じます。
また講演になかで、毎週様々なイベントが催されていて、コンサートや、シンポジウム、展示会など、年間200本を超える、市民がアイデアを出し合って行っているとの事でした。
少し早く到着したので高松市内の商店街を回り、感じたことは、
1) 清潔で整備されていること
2)アーケード商店街であるが、すべて明るい(道幅広い、天井透明)
3)店舗前に違法陳列がない
4)放置自転車がない、自転車はおしていて、乗っていない
5) 商店街内にゴミなどが落ちていないv
6) 道路面(床面)も非常にきれい
7) 物販店が他地域と比べ多い
8) 商店街と歓楽街が分けられて、安心して買い物ができる環境
これらはすべて「住民意識」と「商店意識」から発生しているものと思います。
高松丸亀町商店街振興組合の古川理事長の講演を聞いて、全国いろいろな商店街を歩き、成功例から学ぶのではなく、失敗例から学んだのが丸亀商店街である。その力強い言葉に感銘を受けました。
丸亀町商店街が練り上げた画期的な方法は、商店街を再開発し同時にマンションを併設し、住民の移動を促進し、商店街の顧客になってもらう方法を取っていること。定期借地権付きのマンションで、住みやすい価格帯にして、郊外からの移動を促進していること。病院なども併設されているので、買い物以外の心配事も解決するアイデアが盛り込まれています。
また、土地の所有権と使用権の分離である。地権者は不動産(土地)をまちづくり会社に貸し,まちづくり機関は地域にふさわしいテナントを誘致し、施設を整備し、 デベロッパーとしてまちの運営業務を一括してまちづくり機関が行うことでした。
行政側にも市民が集中して住むと、サービスも効率よくなり財政面での大きなメリットが生まれてきます。行政も商業者にも利点がある画期的な取り組みだと思いました。
行政コスト(一人当たりの面積比率)
中心部 875円
郊外部 5,127円
大店法の規制が無くなり、商店街は、シャッター通りとも言われるようになった。
高松天満屋は、売り場面積2万8千㎡という都心型の巨大百貨店として、開業、当初こそは順調に業績を上げていたが、ピーク時に151億円を計上した売上高も2012年度は89億円あまりにまで低迷し、丸亀町商店街の再生により、閉店に追い込まれた。
やはり商店街を残したいという強いリーダーシップ。これから高齢化社会へまっしぐらに進んで行く日本に一番大切な買物の仕方を実現している身近な商店街だと感じました。
人と人とが会話をしながら 買物という行為がされてゆく、その事で明日への元気をもらっているご年配の方も多いと思います。誰かが自分の事を覚えていてくれる、気にしてくれている そんな社会を作ってくれている商店が、丸亀商店街である。この出会いに感謝。
「100年先でもいらっしゃい。」