『丸亀商店街視察レポート』
滝澤孝一 (岡山政経塾 15期生)
何年かぶりに瀬戸大橋をわたる
前回、高松市を訪れたのは、仕事で東京へ派遣される直前であったと思うので、かれこれ3年前になります。その時は、一鶴高松店の骨付鳥を食べるのが目的でしたので、すぐ近くまで行きながら丸亀町商店街を訪れることはありませんでした。テレビ等で丸亀町商店街のまちづくりについては、見聞きしていましたが、今回訪れてみての第一印象は「すげぇ・・・。ここ本当に高松?東京や横浜だと言われても、全く違和感がない・・・。」というくらい洗練された街になっていました。従来の商店街に比べて、道路の幅が広い、街路樹が植えてある。アーケードが高く、ガラスをふんだんに使っているため、とても明るい(当日は雨模様であったにもかかわらず、です。)。そして何より人が多いのに驚きました。しかも若い人も多い!岡山の商店街だと、こうは行きません。そんな素晴らしい商店街もかつては壊滅寸前であったそうです。
エリアの人口が激減する
高松市においても、他の都市と同様にバブル時には地価が高騰しました。例えば、駐車場代は中心部で55,000円/月まで上昇し、一般人が住むには「高すぎる街」となってしまっていました。当然、人々は郊外へ転出し始めます。そしてそのうちバブルが崩壊。地価はピーク時の1/11にまで下落したそうです。当然、土地に関係する税収も下落しますので、高松市の税収は激減。市はその状況を郊外の農地を宅地にして、固定資産税を増やすことで補おうとします。そうすることで都市はますます拡大していきました。外部からの人口流入がないままに都市が拡大すると、中心部の人口は少なくなります。丸亀町は南北470mの商店街ですが、以前は1,000人の人口がありました。それが役所の調べで600人にまで減少。人口が40%も減少したこと自体驚きですが、事態はさらに深刻でした。というのも役所の調査は住民票を基準に行っていましたが、実際には住民票を残したまま郊外へ移り住んだ人が大勢いました。商店街が実際に調査したところ驚愕の事実があらわになります。実は、商店街にはわずか75名の人しか実際に住んでいないことが判明したのです。
待望された瀬戸大橋が商店街衰退に拍車を掛ける
香川県のみならず、四国4県が待望した瀬戸大橋。本州と陸続きとなることで、多くの観光客が訪れ、商店街にも活気が出るだろう。香川県に限らず、四国に住む多くの人がそのように考えていました。しかし、実際にはこの瀬戸大橋の開通が商店街の衰退にさらに拍車を掛けます。それまでの四国はというと、物流に関しては、海路を使わざるを得なかったため、大手スーパー等が進出しようにも、なかなか難しい地理的要因がありました。それが瀬戸大橋で陸続きとなると、陸路での流通が可能となり、千葉に本社があるイオンや広島に本社があるゆめマートなどが相次いで、超大型の店舗を郊外に次々と展開し始めます。人々は車に乗って、そういった大型店を訪れることになり、商店街にはますます人が来なくなる。全国のシャッター通り商店街と同様に丸亀町商店街にも危機が訪れていました。商店街の危機は自治体の危機でもあります。というのも、市外・県外に本社のある大手スーパー等で人々が買い物をするということは、その店舗で上がる税収は全て本社のある他県に持っていかれるということです。住民が稼いだ金が自治体に入ってこないため、お金が自治体内で循環しないことになり、自治体はどんどん疲弊していきます。自治体内の景気も悪くなり、知らぬ間に住民の職が無くなっていたということにもつながりかねないのです。
商店街復活のために居住者を取り戻す
通常、商店街を復活させるには、魅力ある店舗の誘致であるとか、イベントの開催回数を増やすであるとか、どちらかというと供給の改善に目が行きがちです。しかし、丸亀町商店街の人たちは違いました。彼らはむしろ需要のほうに目を向けます。供給は需要があるところには必ず生まれるものだ。本当に大切なのは需要であるとの考えに基づき、まちづくりを考えたのです。上述のように丸亀町商店街の人口は1,000人から75人に激減していました。人が少なくなると、商店街の店舗にはどうしても業種の偏りが出てきます。丸亀町商店街も同様で高級ブティックばかりが残る状況でした。これを解決するには、住宅整備とテナントミックスを同時に行う必要があります。そういったことを実現するには、何が問題なのか?彼らが行きついたのは土地の問題でした。
土地問題とはなにか?
丸亀町商店街の人たちは、まちづくりは本気で議論すると、必ず土地問題に行き着くといいます。では、土地問題とは何でしょうか?土地の利用方法は個人の勝手です。誰にも制御できません。しかも、一般借地権により土地を貸すと既得権が発生するため、土地の所有者は土地を貸したがりません。そのままでは、土地利用は細分化されたままで、店舗配置は不合理なまま。老朽化した建物を前に居住人口の減少を、指を咥えて見ているだけということになります。
土地問題の解決
結局、土地問題を解決しない限り、何もできないということが分かりました。そこで丸亀町商店街の人たちは、定期借地権を利用した土地の所有権と利用権の分離を計画します。地権者は、個々の権利を主張するより全体の利益をシェアしたほうが得であるということに気づきます。細分化してしまった土地を限定期間のみ共有し、有効活用を図るということです。まちづくり会社を立ち上げ、商業床を一体的にマネージメントし、地権者がリスクを負う変動地代制としました。そして、テナントミックスはまちづくり会社が一括して行うことにより、生活者目線の効率的店舗配置が可能となります。また、居住者を取り戻すために、ライフインフラの再整備を行いました。商店街の店舗の上にマンション住宅を整備するだけでなく、診療所や介護施設、子育て支援施設などを整備し、車に依存しない、歩いて事足る街づくりを行ったのです。マンションは全体で400戸を整備する計画であり、2015年現在ではそのうち200戸が完成しているそうですが、そのマンションは作る端から飛ぶように売れていくと言います。生活に車を利用しなくてよいために特に高齢者に人気だそうで、「歳とれば丸亀町に住みたいよね!」と言われるような街を創るという、そのままを実現できたそうです。
定期借地を利用した再開発の事業費削減効果
定期借地を利用した再開発には、上記のように一般借地権を利用した場合と比較してのメリットの他に、事業費削減効果もあります。従来型の再開発では建物建設費に加え、土地の購入費も必要となりますが、中心部の土地は高額のため、土地代が建物代の1.5倍程度を見込まねばなりません。丸亀町商店街の場合も、仮に従来型の再開発手法を用いて土地を購入したうえでの再開発となれば、土地代が130億円、建物代が70億円で、総事業費が200億円に膨らみます。これでは事業の成立が危ぶまれます。
これに対し、丸亀町方式再開発では定期借地を利用するので、土地代は0円です。かかるのは建物代の70億円だけ。総事業費が70億円なら事業が成立しやすくなります。これも丸亀町商店街が成功した秘訣の一つです。
組織・契約と運営の仕組み
丸亀町商店街の人々は、組織は目的を具現化するための道具であると言います。彼らが行ったのは、A街区地権者からG街区地権者までが街区ごとに共同出資会社を作り、その会社に定期借地権を設定します。これにより、土地の所有権と利用権を分離して、地権者は変動地代のみを受け取り、利用権については、借地権設定期間、手放します。
一方で、高松丸亀町商店街振興組合が主な出資者となって、高松丸亀町まちづくり株式会社を設立します。この会社の基本金は1億円。そのうち95%を高松丸亀町商店街振興組合が出資し、残り5%だけ高松市が出資しています。行政に5%の出資を依頼したのは、お金が足りなかったからではありません。国の補助金を活用するために公的な性格を付与する必要があったため、そのための出資です。
この高松丸亀町まちづくり株式会社に、上述の街区ごとに設立した共同出資会社が運営を委託することで、スキームが完成します。このスキームが丸亀町商店街の奇跡の復活を実現させることとなるのです。
なぜ、民間主導か?
丸亀町商店街の奇跡の復活は、完全に民間主導で行われました。なぜでしょうか?それは役所がやると総花的な計画しか作れないからです。自治体の一エリアにだけ集中投資を行えば、そのエリアの住民は喜びますが、他のエリアの住民の支持は得られません。次の選挙では、市長はかなりの確率で選挙に落ちます。それが分かっているから役所は集中投資ができないのです。役所の能力の問題ではなく、社会の仕組みがそうさせるのですと丸亀町商店街の人たちは言います。そして、だから、まず民がやる。頑張る民を役所が支える構図。それこそが、いまの社会の仕組みに沿った最も合理的な「まちづくり」の手法だと彼らは教えてくれました。
まちづくりと地域医療再生
都市のスプロール化で居住者が商店街から居なくなると、業種の偏りがおこりブティックばかりが残ったことは上で述べましたが、離れていった業種には町医者も含まれていました。しかし、行政的観点からは郊外に大病院が集積しているため、一見、医療が充実しているように見えます。
でも、その大病院に行くと2時間待ち。もちろん、そこまでの移動時間もかかるため、行って、診察してもらって、帰るとなると一日仕事になります。そのようなわけで、実は街なかこそ医療過疎であると丸亀町商店街の人たちは考えました。だから、どうしても町医者(かかりつけ医)が必要だったのです。「歳とれば丸亀町に住みたいよね!」と言われるような街を創るためには、高齢者が最も必要とする医療の充実は欠かせません。そこで、彼らは、在宅で、高度医療、終末医療まで担保され、自宅が世界最高の特別室であるというコンセプトを考えつきます。街なかに丸亀町病院(診療所)を整備します。ここには細心の検査機器を全て揃えて、ドクターも24時間常駐しています。ただ、診療所であるため、手術室はなく、入院もできません。それを補うのが、後方支援病院である国立香川大学医学部付属病院と県立香川中央病院です。手術や入院が必要な場合は、これらの後方支援病院につなぎます。
丸亀町商店街のマンションの住人は、丸亀町病院からドクターが往診に来てくれるので、自宅でリラックスして診療を受けられます。これは利用者にとってメリットがあるばかりではなく、ドクターにもメリットがあります。というのも往診は診療点数が高いのです。このシステムには、岡山県内でも、最近、街なかに病院を建て替えた川崎病院が注目しており、講演依頼を受けて、丸亀町商店街の人が講演に行ったとのことでした。今後、このような街なかでの医療の仕組みが、全国に広がっていくのではないでしょうか。
丸亀町商店街の成功事例から学ぶこと
丸亀町商店街が、イオンやゆめマートなどの郊外型大型店の進出にも関わらず、奇跡の復活を遂げたのは、主に3つのポイントによるものと考えます。
第一に、土地の所有と利用を分離し、「土地問題」を解決したことです。現代社会で幅を利かせる株式会社の中心的な性格は、所有と経営の分離にあると言われますが、定期借地を利用した土地の所有と利用の分離も、これと類似の性格だと考えられます。つまり、丸亀町商店街が株式会社であるイオンやゆめマートと互角に戦っていくための素地を、定期借地がもたらしたということです。
第二に、商店街の再生を、供給から考えるのではなく、需要から考えたということです。住民を取り戻せば、商店街は自動的に再生すると考えたところに発想の逆転があります。客ではなく、住民を取り戻すと考えたところが素晴らしいのです。そして、このことはイオンやゆめマートに対する優位性でもあります。なぜなら、イオンやゆめマートには人は住めないからです。人が住めるのは街だからであり、商店街にしかできないことです。そのことに気が付いたのは、丸亀町商店街の慧眼です。
第三に、社会の仕組みをしっかりと理解し、まちづくりはまず民間主導で行い、行政はそれを支援する役割を担うべきだと考えたことです。行政が総花的にならざるを得ないということを、行政の能力不足ではなく、社会の仕組みからそうならざるを得ないというところまで考察した上で、最も合理的なのは民間主導で再開発を進めることであると気づいた点が素晴らしいと思いました。商店街再生に取り組む全国各地の人々は、このことに気が付かねばならないと思います。
おわりに
岡山駅から高松駅まで電車で1時間足らず。こんなに近くにあるのに、今まで何で見に来なかったのかと後悔するほど素晴らしい街が、目の前に広がっていました。丸亀町商店街に来れば、成功事例を学ぶことは簡単にできると思います。実際、我々が訪れるまでに、全国の地方議会の議員だけで4,800名が商店街の視察に訪れたとのこと。しかし、私は寡聞にして、第二、第三の丸亀町商店街が実現したという話を、未だ聞きません。いくら良い成功例があっても、そしてそれを学んでも、実行に移さなければ絵に描いた餅にすぎない。小山事務局長がよく言われる「世の中に勝ち組も負け組もない。あるのは、やる組とやらない組だけだ。」というのは、ここにも当てはまるのだと思います。願わくは、我が岡山県内の商店街が、丸亀町商店街の成功事例を学び、そしてそれを自分たちの商店街に適用することにより、奇跡の復活劇を遂げてほしい。岡山に住むものとして、そう願わずにはいられない一日となったことを記して、結びといたします。