2016年 直島特別例会レポート(直島・豊島)

滝澤孝一 (岡山政経塾 15期生)

 「豊島の廃棄物等処理事業の施設が見学できるのは今年度が最後」と聞かされて、居ても立っても居られなくなり、すぐに参加を決めた今回の直島合宿。豊島の来し方と行く末を考えることは、日本の来し方と行く末を考えることにつながる。そんな思いで参加した二度目の直島・豊島合宿について、以下、述べたいと思います。

●地中美術館のモネは5枚?いいえ、枚数は∞です
 今回が二度目の地中美術館。前回もそうでしたが、行くたびに、今、自分が何階にいるのか分からなくなります。地上にいるようでB1階にいたり、気が付いたらB2階にいる。昨年同様にジェームズ・タレルのオープンスカイに吸い込まれそうになり、地上から空を見上げているんだなと思いきや、よく考えるとB1階にいるという、なんとも不思議な空間感覚を、安藤忠雄が設計したこの美術館は私に与えてくれます。空間感覚からして「非日常」を演出してくれる、そんな風にも言える場所です。
 そんな地中美術館にあって、私が見るのを楽しみにしていたのは、モネの「睡蓮の池」をはじめとする「5枚」の絵でした。モネの部屋に入ると、真正面にドーンと浮かび上がるその存在感は、実際に見に行った人にしか分からない感動を与えてくれます。地中に作られた空間に展示してあるのに、自然光のみで鑑賞することができるため、朝には朝の、昼には昼の、夕刻には夕刻のモネがあり、また、晴れの日と曇りの日、雨の日にもそれぞれのモネがある。私が地中美術館を訪れたのは昨年も今年も夏ですが、太陽高度が低くなる冬には、まだ見ぬ冬のモネがあるのでしょう。今回はどんな表情を見せてくれるかな、と期待して訪れたモネの絵は、いつも私の想像を超える素晴らしい表情を見せてくれます。しかも、人間の表情さながら千変万化、自然光で鑑賞するがゆえに、光の加減に応じて、そこには無限大のモネが出現する。昨年見たモネを瞼の裏に思い出し、今年のモネと比較した際、そのことに気づきました。

●アーティストと地域をつなぐための「翻訳機能」
 1日目の午後に、公益財団法人福武財団アートマネジメント部門長の笠原良二氏に、ベネッセが取り組んできた直島、豊島そして犬島での長年にわたる取り組みについて、御講演いただきました。
 その中で、私がいつも疑問に思っていたことを、笠原氏が明快に御説明くださったので、本当に勉強になりました。その疑問とは、アーティストと地域とをどうつなぐかということ。通常、アーティストの頭の中には、いかに素晴らしいアートを生み出すかということしかなく、それが地域の発展につながるかどうかはどうでもよいことだと考えているはずです。つまり、「アートのためのアート」としか考えていない。それをどのように地域とつなぐのか、アートによるまちづくりを考える際に、そこが最も難しいと常々考えていました。あまりに「地域の発展」、「まちづくり」を強調しすぎると、アーティストは息苦しさを感じて逃げてしまうだろうし、逆に単に「アートのためのアート」でしかなければ、地域は発展しない。そこには埋めがたい溝があるように感じていました。
 笠原氏によれば、その溝を埋めるのが、キュレーターと笠原氏の二人の役割なのだそうです。翻訳機能によって、アートを地域の元気に変えているお二人。そのような役割を果たす人がいてはじめて、アートと地域が架橋される。そのために笠原氏は住民との日頃のコミュニケーションが重要であり、ふらふらとまちを歩き続けているとお話ししてくださいました。住民から顔の見える笠原氏のような翻訳者が居て初めて、アーティストと地域がつながるのだなと分かりました。
 アートをまちづくりの中心に据える自治体は全国にありますが、その多くは今一つ上手くいっていない中、笠原氏が説明してくれた直島、豊島そして犬島でのベネッセの取り組みは大いに参考にすべきものであると思います。

●二日目 豊島の来し方と行く末
 冒頭でも述べたとおり「豊島の廃棄物等処理事業の施設が見学できるのは今年度が最後」です。私は1975年生まれですが、奇しくも豊島の産廃の歴史も同じ年に始まりました。1996年9月に、東京で学生をしていた私は、たまたま遊びに行った銀座で「瀬戸内海を守れ」という横断幕を掲げてデモを行う豊島住民に遭遇します。そして、テレビや新聞などで報道される豊島の産廃の問題を長年にわたり見聞きしてきましたが、発端から40年以上を経て、豊島の産廃処理は、今年度末で一つの区切りを迎えようとしています。
 豊島の産廃の問題については、昨年のレポートでも触れましたが、正に奇跡としか言いようのない住民の粘りの上に解決されてきたものです。それが、どれだけ困難に満ちたものであったかは、現場に行って、豊島廃棄物等処理事業を見て、事業を行う職員の方の話を聞き、そして、40年間戦い続けてきた住民の生き残り(多くの方が高齢のため既にお亡くなりになっています。)の方に話を聞かなければ、実感としては伝わってきません。新聞紙面ではとても伝えきれないほどの想像を絶する事態だったのです。
 答えは現場にあり。そして、その現場がもうすぐ無くなろうとしている。ならば、まだ現場を見たことがない人に私が言えることは一つです。

「豊島へ行って、その目で現場を見るべし!」

 昼食の後に再訪した豊島美術館。コンクリートでできたシェルであるにもかかわらず、この美術館は生きています。産廃に係る長い闘争の歴史の果てに、生命を宿す美術館が誕生するまでになりました。豊島美術館は、豊島蘇生の象徴です。豊島の行く末が希望に満ちていることを実感できます。行ったことがない人は、ぜひ一度訪れてみると良いと思います。巨大なコンクリートの生き物の体内に入ったような不思議な感覚を味わわないのは勿体ないです。
そうそう、昨年訪れた際に、14期生の中で、この美術館と真に一体となれたのは、何を隠そう私一人でした。ブルース・リー主演「燃えよドラゴン」の中の有名なセリフ「考えるな!感じろ!」が実践できたのは私一人であったことを密かに誇りに思っていたのですが、今年は案内役のNさんも含め、実に4名もの人が豊島美術館と一つになれました。もちろん、私もその一人です。

●おわりに
 直島・豊島の合宿は、「見る、聞く、体感する。考える力を身につける。発想の転換をする。」ために参加するものであるという、小山事務局長の意図どおり、今年も発想の転換ができたのではないかと思います。人は日々の生活の中で知らず知らず固定観念に囚われ、発想が小さな枠に嵌ってしまうもの。だから、直島・豊島は何度来ても「新しい」のだと思います。二度目の直島・豊島がそのことを実感させてくれた二日間であったことを記し、結びとします。