2015年10月 
 豊後高田市(まちづくり・教育)現地視察

『豊後高田市のまちづくり~夢をかたちに
 未来に光り続けるまち~ 』

紺谷百世 (岡山政経塾 14期生)

●1.はじめに

 私たちは平成27年10月10日に大分県豊後高田市を視察した。
 豊後高田市は大分県北東部、国東半島の西側に位置する、総面積は206.6㎢、人口は23,000人弱の市。瀬戸内海国立公園及び国東半島県立自然公園を擁する自然景観や農村集落、史跡等、豊かな自然と歴史文化などの地域資源が豊富な地域である。
 豊後高田市は上記で示した通り小さな都市であるが、毎年約40万人もの観光客が訪れている。また、市外からの移住定住の促進に注力しており、人口の社会動態は転入超過となっている。大分県内の社会増減率では最も高い比率である。それらの秘訣について豊後高田市観光まちづくり株式会社、ならびに豊後高田市教育委員会の方々から講演を頂いた。
地図 表

●2.「昭和の町」 (豊後高田市観光まちづくり株式会社)

 豊後高田市は活力の低下した中心市街地において「昭和の町」のコンセプトを打ち出し、既存の建物のリニューアル、観光施設の整備に取り組むことで、観光客の増加、シャッター商店街の復興を実現させた。

1)「昭和の町」というコンセプトに至った経緯
 豊後高田市の中心市街地には8つの商店街があるが、それらの商店街は昭和30年をピークに寂れていき、最終的には「犬と猫しか歩かない悲劇の商店街」と化してしまった。
 商店街の活性化を図るべく、平成4年より商工会議所がコンサルタントを導入し商店街の活性化構想を策定したが、この構想は費用面の問題が大きく断念。  既存の店舗を活かした費用のかからないまちづくりをするという基本方針のもと、商店街の活性化策を練るために商店街の実態調査を実施した。その結果、現存する殆どの建物が昭和30年代以前に建てられているということがわかった。平成13年より中心市街地が元気だった最後の時代「昭和30年代」をテーマに、商店街の振興に観光振興という要素を加え、中心市街地活性化に取り組み始めた。

2)取り組み
 商店街の各店舗が取り組む4つの“再生”(下記)、昭和の町のコンセプトを観光客に伝える「ご案内人制度」、中心市街地にかつての姿のまま眠っていた米蔵を活用した観光拠点施設「豊後高田昭和ロマン蔵」等により昭和を体感できるまちづくりに官民一体となって取り組んだ。平成17年には官民で出資する第3セクター「豊後高田市観光まちづくり株式会社」を設立し、「昭和の町」観光事業の推進を図っている。
その結果、約40万人もの観光客が訪れるまで再生を果たした。

●3.教育のまちづくり (豊後高田市教育委員会)

 豊後高田市はまちづくりの一環として教育改革が進められてきた。幼稚園時から教育に力を入れる幼稚園改革、児童・生徒が自分の通う学校を選ぶことができる通学区の弾力的運用、教職員の意識改革を並行し教育改革が進められてきた。また、土曜日の教育活動を充実させることを中心とした「学びの21世紀塾」などの取り組みにより、児童・生徒の学力水準は県内最高水準となった。その教育水準の高さから豊後高田市への移住を考える人が増加し、その結果県内随一の人口社会増となっている。

取り組み事例
1)学びの21世紀塾
 完全学校週5日制となった平成14年から「学びの21世紀塾」という市営の塾を開講。「土曜日講座」を中心に、中学生を対象とした部活動のない水曜日に行う学習補充のための「水曜日講座」、長期休業日を利用した「夏季・冬季特別講座」等を実施している。
 講師は市民や教職員が担当しており、学校・地域・保護者が連携・協力して成り立っている。

2)コミュニティ・スクール
 保護者や地域住民などから構成される学校運営協議会が設けられ、地域の人たちが学校経営に関わる仕組み(=コミュニティ・スクール)づくりがなされている。豊後高田市には小学校10校、中学校5校、義務教育学校1校の合計16校の学校があるが、平成28年までにすべての学校をコミュニティ・スクールに指定する予定である。

●4.おわりに

 豊後高田市の中心市街地はかつて「犬と猫しか歩かない悲劇の商店街」であり、教育水準は10数年前まで大分県でワーストであった。その状況から抜け出し、今では40万人近い観光客が訪れるまで再生し、教育水準は県内でトップクラスになっている。
 豊後高田市は自身の課題を認識したうえで、その課題をどのように解決するべきかについても官民が共通の認識をもち、協力・連携をすることが出来ているため、「昭和の町」や「教育のまちづくり」の取り組みが成功しているのではないか。まちづくりはみんなが同じ想いを持って推進することが重要なのだと感じた。
 その他、今回の現地視察で印象に残った点がいくつかある。
 まずは、商店街を歩いていると商店の人たちが積極的に声をかけ呼び込みをしてくること。普段よく通っている岡山の商店街ではまずないことだ。現代では極端に少なくなっているこのような人との交流は、買い物客の購買意欲を掻き立てるだけでなく、商店街のコミュニティ機能を向上させ、地域で起こる様々な問題を防ぐことが出来るのではないかと思う。
 次に、昭和の町では観光客数と一人当たりの購買金額について目標を設定しているということ。設定した目標対して実績はどうだったか、改善すべき点は何かを検討し、次年度の目標設定や施策の決定をしている。このようにPDCAを回している商店街が全国にどのくらいあるのだろうか。難しいことではあるが、必要なことだろう。
 最後に、教育の力で移住を促そうという発想。都会に住んでいる人が田舎暮らしをしたいと思っても、田舎では教育水準が低いのではないかという不安がつきまとう。しかし、豊後高田市は市を挙げて教育に力を入れており、教育水準は県内トップクラスであるため、その不安は払拭できるのだ。この発想はとても素晴らしいと感じた。
 昭和の町については課題も出てきている。全国にある商店街と同様に後継者不足等を要因として空き店舗が増えてきており、観光客数も減少傾向にある。この課題についても官民一体となって対策を推進し、改善が図られることだろう。
 「夢をかたちに、未来に光り続けるまち 豊後高田」
これは永松博文豊後高田市長が掲げているスローガンである。地域資源を活用し、活気あふれる魅力的なまちづくりを推進してきた豊後高田市が、今後も未来に亘って光り続けることを期待したい。