『古きをたずねて新しきを知る
〜新しい日本の未来のかたち〜』
櫻井 透 (岡山政経塾 14期生)
●はじめに
私は昭和後期、昭和59年の生まれである。昭和の時代に生まれたけれども、すぐに平成の世になった世代だ。ただ、子供の頃は田舎の小学校に通ったせいか、学校の帰り道に駄菓子屋に寄ったり、祖父母の家にあった手塚治虫の漫画を読みあさった小学生でもある。
そんな自らの幼少期を思い出しながら、昭和の街を練り歩き、教育について振り返った1日をレポートに記したいと思う。
●昭和の町豊後高田
10,579世帯、23,373人が住むこの街は老齢人口が34%を占める。しかし、3年連続住みたい田舎ランキング上位を獲得し、年間約30万人が訪れる街でもある。店頭には古い看板、黒電話、レコード機が飾られており、観光にきた人々は昔ながらのこの街を楽しみながら散策している。
面白いのは道で声をかけているおじさん達だ。店頭の商品を販売するために試食を配っていたり、商品の歴史を語ったりする様は、さながら商人(あきんど)そのもので私自身もおもわず商品を購入してしまった。
あとになって、商工観光課の方に聞いたのだが、町作りの背景には以下のコンセプトがあったことをお伺いした。
この豊後高田の街は4つの再生を目指している。
① 昭和の建築再生 ②昭和の歴史再生 ③昭和の商品再生 ④昭和の商人再生。
町並みだけでなく、人を再生する、この街が来る人を魅了する特徴であろう。
新しいものを作るのではなく、あるものを活かし、あえて古いものを作るという発想。この発想は豊後高田市のHPにも表れている。
その町並みは懐かしさを与えてくれるとともに、今の時代が失ってしまった何かを気づかせてくれる街だ。
●教育の町豊後市
豊後高田の街は『ただ学力を上げる』ことを目的としているのではなく、『人が住みたい町、育つ町づくりを心がけている』。教育長の言葉の中に、『学習塾に通う必要のない県』という言葉が印象的であった。以前、教員を務める友人に『今の子供達は家に帰った後、毎日のように学習塾に通っている。子供達は忙しすぎる』という話を聞いたことがある。
豊後高田のいきいき寺子屋活動事業は生徒の自主性を重んじ、意欲の高い教師の授業を受けることができる。(生徒の参加率は50%と半数が参加)
教育長の言葉に『人は、本当に忙しいのか、実は業務量は変わらず、多忙感だけが増えているのではないか』
人々が意欲的に取り組めれば多忙感はなくなる。大人にも、子供にも共通した感覚であろう。
最後に教育長として、責任者としての信念のようなものを聞くことができた。
『最近では、この町の取り組みを真似して他の町の学力が上がり、この町の順位が下がってるんです。でもそれはうちに油断があったかもしれない』
常に自らを見直し、この街のために何ができるのか、この街を本気で良くしていこうという教育長の想いがこの街の教育をつくりあげているのだと感じた。
●さいごに
この街を良くしたいという想いが、アイディアを生み、昭和の町豊後高田を作り出した。豊後高田の街を通して、『人の想いが街をつくり、街が人を育てる』そんなことを感じた1日であった。