2017年 直島特別例会レポート(直島・豊島)

個性と魅力のある地域の集合体へ
~日本滅亡を阻止するために~

紺谷百世 (岡山政経塾 14期生)

1.はじめに
「日本はこのままでは滅びる。」
これは瀬戸内国際芸術祭の総合プロデューサーであり、岡山政経塾塾長である福武總一郎氏の言葉である。
穏やかな瀬戸内海の潮風に包み込まれながら、今年も日本が世界に誇る現代アートの島・直島と豊島を訪れ、福武塾長の講演をお聞きした。物事の原点、本質、さらに日本や地域の在り方、人間のあるべき姿などを学び、仲間と意見を交わした。非日常の空間で、心豊かに過ごした2日間だった。未来への挑戦のエネルギーが湧き出てきた。
私は今回で4回目の合宿参加となった。4回の合宿を通して、福武塾長がどのような考え方で瀬戸内海の島々を活性化させてきたのかを学んだ。
これまで学んだことに加え、福武塾長が講義中に紹介された元気な地方の例も参考にして、日本の滅亡を防ぐためにはどのようにすればよいのか本レポートにて考えたい。

2.福武塾長の考えと直島の活性化
 まず、私がこれまで参加した合宿で学んだ福武塾長の考えをおさらいする。

①過度な近代化と都市集中化への“レジスタンス”
福武塾長は経済至上主義により直島や豊島等の自然が破壊されたことに憤りを感じていた。自然こそが人間にとって最高の教師である。瀬戸内海の豊かな自然の中に、メッセージ性の強い現代美術を置くことによって、レジスタンスという考えを具現化した。

②経済は文化の僕
 経済は人々を豊かにする手段であって目的ではない。目的はあくまでも「文化」だ、という考え方である。その考え方を推し進め、福武財団はベネッセホールディングスの株主となり、企業活動から得られた配当金を原資としてベネッセアートサイト直島を運営している(=公益資本主義)。

③在るものを活かして無いものを創る。
現代文明は「在るものを壊して無いものを創っている」。ベネッセアートサイト直島は、土地の自然や歴史を大切にし、すでに在るものを活かしつつ、新たなものを創り出している。直島では、自然の中にアートが配置され、歴史ある古民家が現代美術の作品へと改修されている。

④幸せになるには「幸せなコミュニティに住むこと」。
幸せなコミュニティとは「人生の達人であるお年寄りの笑顔があふれているところ」。直島は都市の若者と島のお年寄りをアート・建築が媒介することで、お年寄りを笑顔にしている(=直島メソッド)。島のお年寄りの中には、74歳で京都から来た26歳の女性とカップルになったおじいさんもいるから驚きである。

私は4年前に岡山に転勤してきてから、今回が6度目の直島だったが、来る度に新しいカフェや民宿が出来ており、町が活性化してきていると感じる。
直島町の人口は約3千人であるが、2016年の直島町の観光入込客数は芸術祭の効果もあり72万人に上っている。芸術祭が無かった2015年でも約50万人だ。一方、ベネッセが国際キャンプ場をオープンさせる前の1990年の観光入込客数は約1万人であり、ベネッセアートサイト直島の取り組みが町の活性化に大きく貢献していることがわかる。
また、直島町の平均所得は314万円で香川県内の市町村では第3位、香川県の県庁所在地である高松市の319万円に次ぐ所得水準の高さである。要因の分析は出来ていないが、観光客が町にお金を落としていることが大いに影響しているのだろう。ちなみに、岡山県の市町村では、岡山市を除くすべての市町村が直島町の平均所得を下回っている。

3.元気な地方の例
 福武塾長の講義中に元気な地方としていくつかの地名が挙がった。それぞれがどのような取り組みをしているのか調べてみた。

①岡山県真庭市 ~バイオマスタウン
 真庭市は土地の約8割が森林という森林資源豊かな土地で、林業や製材業が盛んであった。近年になりそれら地場産業を取り巻く環境が厳しくなる中、1993年に地元の若手経営者等が集まり「21世紀の真庭塾」が立ち上がった。豊かな自然を背景とする暮らしを未来へとつなげていくことを目的に、さまざまな分野の専門家や有識者と連携した結果、真庭市の主要なテーマを「町並景観保存」と「循環型地域社会の創造」に据えた。
それ以降、間伐材や製材屑などを中心とする再生資源(バイオマス)の利活用が推進され、木片を活用した製品開発やバイオマス発電、これらのバイオマス活用事例を視察するバイオマスツアーも開催されている。2015年には国内最大級の木質バイオマス発電所が稼働を始め、1年間で約21億円の売電収入を得ている。2016年度からはエネルギーの地産地消を目指し、一部が真庭市役所本庁舎などに供給されている。
 
②徳島県上勝町 ~葉っぱビジネス
 上勝町は高齢化比率が50%を超える過疎化と高齢化の町である。1981年の局地的な異常寒波により主要産業であったみかんの殆どが枯死し、農業は大打撃を受けた。この歴史的大災害を乗り切るため、軽量野菜を中心に栽培品目を増やしたり、季節的要因の少ない椎茸の栽培を始めたりすることで、農業の再編成を成功させた。そして、町の約半数を占めるお年寄りが活躍出来るビジネスがないかと模索し、1986年から葉っぱビジネス、すなわち日本料理を彩る季節の葉や花などの“つまもの”の栽培を開始した。
 現在つまものの種類は320以上で、1年を通して様々な葉っぱを出荷している。葉っぱを栽培する農家の中には年収1,000万円を稼ぐおばあちゃんもいる。高齢者や女性に仕事が出来たことで町民は心身ともに元気になり、町の雰囲気も明るくなった。
 
③徳島県神山町 ~クリエイティブな田舎づくり
 神山町はすだちの生産量日本一を誇る徳島県の中山間地域で、高齢化率46%に達する過疎の地域である。
 神山町は1999年から国際的なアート・プロジェクト「神山アーティスト・イン・レジデンス(以下KAIR)」を開始した。毎年8月末から約2か月間、国内外から3~5名のアーティストが滞在して制作活動を行い、10月下旬に作品展覧会を開催している。
明石海峡大橋開通を活用して町おこしを図ろうと、町の有志が集まって検討したことがきっかけで始まったもので、これに県の国際文化村構想等の動きがタイミングよく重なって1999年からの開催に繋がった。
神山町が行っているのはKAIRだけではない。県内全域に敷設された高速インターネット網を活用してサテライトオフィスを誘致したり、将来町に必要な働き手や起業家を、職種を特定して「ワーク・イン・レジデンス」という募集する取り組みを行っている。仕事がないから移住者が来ないという発想から、仕事を持っている移住者を呼び込もうという発想の転換である。
これらの取り組みにより、2011年には人口の転入数が転出数を上回り、人口社会増を達成した。

④島根県隠岐郡海士町 ~島産品の販路拡大、高校魅力化プロジェクト
 海士町は、島根県隠岐諸島に位置する小さな島である。本土から船で2、3時間もかかる離島というハンディキャップから、過疎、少子高齢化が進み、財政も悪化していた。
 海士町では新鮮な魚介類が獲れるが、市場に着くまでに時間と費用がかかり商品価値を落としてしまうという離島のハンディキャップがここにも存在した。このハンディキャップを克服するため、「CASシステム」という最新技術を導入した。細胞組織を壊すことなく冷凍でき、鮮度を保ったまま魚介を出荷できる技術で、これにより海士町で一貫生産に成功したブランド「いわがき・春香」や特産の「しろイカ」等は首都圏や海外へも販路が拡大した。
 また、海士町では将来松阪牛や神戸牛となる良質な子牛が出荷されていたが、それらを肥育まで手掛け「島生まれ島育ちの隠岐牛」というブランドに育て上げ、東京市場で松阪牛と同等の水準にまで高い評価を得られるようになった。
 海士町はビジネスだけでなく教育にも力を入れた。島前地域で唯一の高校である県立隠岐島前高校は、生徒数の減少により廃校の危機に立たされていた。廃校すると、子どもたちは15歳で島外に出なくてはいけなくなってしまうため、高校を存続すべく「島前高校魅力化プロジェクト」が立ち上がった。地域の課題に取り組むキャリア教育、全国から意志ある入学生を募る「島留学」、公立塾「隠岐國学習センター」の設立などを通して、生徒数・クラス数は倍増した。

4.日本滅亡を阻止するには
冒頭の福武塾長の言葉には続きがある。「日本が生き残る方法は、日本が個性と魅力のある地域の集合体になること。」直島も今回調べた各地域も、個性と魅力ある地域であると私は感じた。個性と魅力のある地域には人々は惹きつけられ、結果として移住者の増加にも繋がっている。それでは、個性と魅力ある地域となるためには何が必要なのか、ポイントは二つであると考察する。
まずは、直島もその他の元気な地域も、在るものを活かしているということだ。自然や地場産業など地域に在る特徴を活かし、それを他の地域にはない個性や魅力へと昇華させている。地方には地方の良さがあり、住民はそれに気づき、誇りを持って育てていくということが重要ではないかと考える。
二つ目は、地域の人の地域を良くしようという気持ちが強かったということだ。自然破壊や地場産業の衰退、災害、過疎化、少子高齢化、財政難などの地域存続を脅かす事柄に対し、ピンチを抜け出すためにはどのようにしたらよいのかを地域と向き合って本気で考えられていると感じた。海士町を調べている際に、「山内町長が当選後まず自身の給与カットに踏み切ったら、職員たちも自身の給与カットをするよう申し出があった」という本気度が窺えるエピソードもあった。本気で考え行動に移すことが重要であると考える。

5.おわりに
私は2016年の瀬戸内国際芸術祭で、運営ボランティアの「こえび隊」に参加した。そのときに印象に残ったのは、豊島の島キッチンでの出来事である。
私と一緒にこえび隊に参加していたメンバーの中に、台湾から来た若い女性2人組がいた。休憩時間には島キッチンで働いている島のお母さんたちがその2人と楽しそうに話をしていた。芸術祭がなければきっとこのお母さんたちは外国人である彼女らと一緒に働き、交流することはなかったのではないかと感じ、芸術祭がもたらした効果を目の当たりにした。
また、島キッチンは2010年の芸術祭のとき作られた場所で、お母さんたちは芸術祭をきっかけにしてここで働き始めているということを考えまた感嘆した。島の年配のお母さんたちが働き、他所から来た若者や時には外国人と交流して笑顔になる。地域が元気になるということはこういうことかと実感した。
この環境を創った福武塾長はアートで島々を再生したいと本気で思い、一貫した考えで事業を進めてきたからこそ、ベネッセアートサイト直島が個性と魅力のある地域になったのだと思う。
 最後になりましたが、このような多くの学びや気付きの機会を与えて下さった関係者の皆様に心よりお礼申し上げたい。