~アートを通じた幸せなコミュニティの実現~
間野 陽子 (岡山政経塾 16期生)
(1953年頃の直島) (1975年から1990年の豊島)
3.過度な都市化・近代化へのレジスタンス活動としてのアートプロジェクト
昭和60年、直島の環境問題や人口減少といった問題が深刻化する中、当時の福武書店創業者であった福武哲彦氏と直島町長であった三宅親連氏が直島に子ども達のための国際キャンプ場を作ることで同意した。しかしその翌年、哲彦氏が急逝したことにより息子である總一郎氏がプロジェクトを引き継ぐこととなった。過度な都市化や近代化によって先に挙げたような悲惨な問題が引き起こされている現状を受け、福武氏は「アート」を武器にそれらへのレジスタンス活動としてのプロジェクトを起動した。
過度な都市化・近代化の象徴である東京を反面教師とした福武氏は建築家安藤忠雄氏に協力を仰ぎ、現在のアートの島、直島を作り上げた。
4.アートの島の魅力
①家プロジェクト
直島・本村地区に展開する「家プロジェクト」は古い空き家を改修しアーティストが空間そのものを作品化することによって、現在も生活が営まれている地域の中にアートが点在する空間を実現している。「在るものを活かして無いものを創る」という発想により生み出されたアート空間は、過去と今のつながりを感じられる場所となっている。
家プロジェクトにおける作品の中で私が最も感動したのは宮島達男氏による「角屋」である。築約200年の家屋を改修した角屋の中には島の人々が自身の手で決めたスピードで動く125のデジタルカウンターを配置した「Sea of Time ‘98」が展示されており、125人の人々の鼓動を感じられるような不思議な感覚を味わうことができる。色とりどりのデジタルカウンターが各々のスピードで規則的に、時に不規則に時を刻む空間で自分自身の鼓動を感じるという体験は、過去から現在への時の流れとその中に生きてきた人々の人生を思い起こすことにつながるものであった。
(Sea of Time ‘98/宮島 達男)
②地中美術館
地中美術館はクロード・モネ、ウォルター・デ・マリア、ジェームズ・タレルの作品を安藤忠雄設計の建築に恒久設置している。
通常の美術館は「建物の中に作品を持ってきて展示する」が、地中美術館は違う。「作品のための空間として建物が作られている」のである。中でもクロード・モネの「睡蓮」5作品を目にした時の迫力は圧巻であった。空間に足を踏み入れた瞬間、まず「睡蓮の池」が目に飛び込んでくる。さらに足を踏み入れると部屋一面にモネの5作品が展示され、自然光の下に浮かび上がるモネの絵画と一体化した空間に息をするのを忘れそうになる。
(睡蓮シリーズ/クロード・モネ)
③豊島美術館
地中美術館と同じく豊島美術館もそれまで私が持っていた「美術館」という概念を180度転換させられる場所であった。
柱一つないその「空間」は、天井にある二箇所の開口部から流れ込む光、見える空、聞こえる鳥のさえずりを感じながら、そこに存在する人それぞれが自分の目で見て、耳で聞いて、体中で感じることによって作り上げていく「作品」なのかもしれない。
(母型/内藤 礼)
5.おわりに
「アートとは何か」。5月の例会で私はアートとは「究極の自己表現」であると答えた。直島・豊島合宿を終え、今の私はアートとは「魂」であると考える。
福武氏は人が幸せになるためには人生の達人であるお年寄りの笑顔があふれる幸せなコミュニティに暮らす必要があると話された。直島ではアーティストや建築家が島々に訪れて作品を制作する過程で地元住民と交流し作品について語り、そのアーティストの想いや作品に関する豊富な知識を都市部から来た若者にお年寄りが話すという。これこそが直島メソッドの秘密であり、アートが持つ世代や背景の異なる人々を集める力であるという。
今回の合宿で出会った作品もすべてアーティストが「魂」を込めて生み出したものであり、その作品を受け継ぎ後世に残したいと強く願う人々の「魂」が長い歴史の中で蓄積され、今その作品と出会った私たちの「魂」に何かを語りかけているように感じた。
最後になりましたが、福武塾長をはじめ貴重な体験を通じて多くの気づきの機会を与えて下さった関係者の皆様に心よりお礼申し上げます。






