2019年 直島特別例会レポート(直島・豊島)

直島・豊島~瀬戸内海に浮かぶアートの島~

新屋 理沙 (岡山政経塾 18期生)

■はじめに
 私が住んでいるのは兵庫県の西側。その南西に位置する直島、豊島。
瀬戸内海に面したところに私は住んでいるのに直島、豊島に訪れたことがなかった。こんなに歴史問題の表裏が存在するアートの島が瀬戸内海に浮かんでいたことを今まで知らずに瀬戸内の海を眺めていました。

①地中美術館
 周りの景観を邪魔しないようにすっぽりと地中に埋まった美術館。地中にありながら自然光で作品を鑑賞する。あまり普段から美術館巡りなどしない私にはすごく新鮮でした。一つ一つの芸術品を観て回る美術館ではなく体感、視感で捉える感覚。「この吹き抜けから見上げた空も作品みたい」と何もかもが作品に見えた。私の祖父も建築家でした。小さい頃から設計図などを見ても建物の完成図が想像できなかった私。建築もアートになるんだと空間を見る楽しみ方がこの美術館でできました。

②家プロジェクト
 とにかく街並みがきれい。どこか懐かしさを感じる。同期生と歩きながら色々なものを感じながら散策をしました。民家の表札、庭先、植えられていた花々。全てが「アートだよね」という会話になる。先程訪れた地中美術館の余韻なのか。南寺には感動しました。人の視覚をアートにする発想。普段せわしなく生きていれば気づことができないものをアートと捉えるなんて面白かった。


③ベネッセミュージアム
 アートとは『人それぞれに感じ方が違うもの』と私は思います。
数々の作品の前に立ち、じーっと見ても良さは分かりませんでしたが捉え方は人それぞれ。感じ方が違うのは面白いことだなと思います。その人の経験値や、感性、ひらめきが違うと見方も変わる。一つの作品を観て、建物の向こうの岸を見たら目の前にある作品の中に描かれている船と同じものが向こう岸に在る。「え?」「え?」となる感覚。とても面白い。

④黄色いカボチャ
 ベネッセミュージアムからは歩いて移動。の途中にある黄色いカボチャ。
これはテレビで見たことがあった。テレビで見た時に「黄色いぶつぶつのカボチャが海辺に馴染むの?」と思っていましたが、本当に馴染んでいました。
そこにあって何が悪い?くらい海をバックにマッチしていました。「これがアートに触れるなんや…」と妙に感動しました。

⑤福武塾長の講義
 なぜ直島、豊島をアートの島にしたのか?『幸せをつくる直島メソット』
・在るものを生かし無いものを創る。
・幸せになるには幸せなコミュニティに住む
・幸せなコミュニティとは人生の達人のお年寄りの笑顔が溢れているところ
・自然こそが人間にとっての最高の教師
・経済は文化の僕
・華僑ではなく和僑になれ
東京一極集中では地方は寂れてしまう。そうなれば日本の未来は暗い。とおっしゃられました。直島のように世界中から人が訪れる方法を模索し質の良い政策、議員をつくり国、政治に依存することなく自立した地方をつくることが大切だと思いました。
とても実になる時間を過ごさせていただきました。

⑥豊島産廃現場
 こんなに悲惨なことが、こんなに美しい景色の所で起きていたなんて、あまりの衝撃で胸が詰まる思いでお話を聞きました。どうしてこんなにきれいな海と空とを臨む場所に有毒なものを埋めることができるの?捨てることが、燃やすことができるの?と腹が立ちました。島民の方々の苦労を知り、国、行政、司法は「人間が人間らしく暮らす」保障をしてくれないの?と憤りを感じました。二度とどんな場所であれ、こんな悲惨な歴史を繰り返してはいけない。と強く思った。

⑦豊島美術館
 豊島美術館までの道中。バスを降りると瀬戸内海が目前に広がり空と海と棚田が作り出すコントラストに感動しました。青、水色、白、緑…全てが調和して見えました。思わず「うわぁー!」と心から声が出ていました。景色を見て心が震えました。この二日間『心で見るアート』を沢山感じてきたからなのでしょう。豊島美術館はまず「何だこれ?」が第一印象。自然とドーム型の建物と水滴がつくる不思議な空間は今まで生きてきた中で感じたことがない『アート』そのものでした。しかし私にはまだまだ感性が乏しいのか、これが『アート』なのか?とも思った。

■おわりに
私の家からは海が見えます。潮風も感じられます。それでもいつも感じるものとは全然違うものに感じた直島・豊島。いつもこちら側からしか見ていなかった瀬戸内の海。違う側から見てみるのもいいなと思いました。『アートとは思考のエネルギー』沢山の思考を私なりにした合宿でした。また絶対に大好きな人ともう一度訪れてみたいと思います。梅雨時期なのにお天気にも恵まれた二日間。素晴らしい体験をさせていただきました。
最後に小山事務局長、西美さん、例会担当の岡田さん大倉さん、関係者の方々に心よりお礼申し上げます。