「光と水と空を感じる時間 直島・豊島合宿」
山本 瀧湖 (岡山政経塾 18期生)
はじめに
岡山政経塾に入塾して初めての例会は定義についてでした。「アート」の定義とはなにか?最初に議論したテーマです。私はアートとは感性に訴えかけるものと書きました。では実際に今回の視察で定義したものが自分のなかでどの様に変化し、視野を広げることができたかをこのレポートを通じて考えていきたいと思います。
地中美術館
直島に到着して最初に観た現代アートは地中美術館でした。現代アートの数々が展示されており、静けさのなかに存在感がある作品は自分の感性に訴えかけるものがありました。


ベネッセミュージアム
ベネッセミュージアムには現代アートとともにさまざまな思想も含めた作品が多くあった。
特にウルトラマンを並べて鏡に移すアートには、一体一体を日本人と例え、中心に向かって置く作品があったのだが、個性的な日本人は否とも考えられる。
しかしながら、同じ方向性を生むことで日本という国が成り立っているとも考えられる。そして、全体を通して観ると日章旗にも見えてくる。
そこには愛国心や国への忠誠が日本人の一人一人のなかに抱いているとも考えられ、さまざまな視点を持つ作品であったことは間違えない。

瀬戸内海の水平線とは別の場所のさまざまな水平線を展示してある。過去、現在、未来に一貫して常に変わらないもの。それは水平線。感慨深いものがある。

福武塾長の講話
今の民主主義について講話をいただいた。現在の日本には東京一極集中により地方が弱ってきている。地方分権こそが日本の文化を産み、文化を生み出すことで日本人のアイデンティティーが産まれる。文化がうまれなければ構造的に日本が元気にならない。「あるものを活かし、ないものを創る。」ことが日本の文化に必要ではないかと思った。そこで木村尚三郎薯「耕す文化」の時代の言葉が印象的だった。その一文に「工業は人間の肉体も頭脳も機械に置き換えてしまうものである。」
今を生きる現在で工業はなくてはならないものである。しかし、人は機械化してしまい心の豊かさが乏しくなってきてしまっていることは確かだ。では、人の幸せとはなにか?この永遠の課題に日々考えることが日本の将来像を生み出すことができるのではないかと思った。自然こそが人間にとっての最高の教師であるならば、現在の日本はその最高の教師から見放されていようとしている。
産廃の豊島
豊島の歴史はけっしてきれいな部分だけではない。ミミズの養殖の島としていたが、実際には不法投棄のごみの島になっていた。金属回収業を行い、現場では野焼きが連日行われ、子供たちはぜんそくなどの健康被害が相次いだ。憤りを感じる事件であった。

豊島美術館
光と水、風がおりなす空間が豊島美術館であると思う。静かに流れる水。光へとむかっていく。この空間と時間がアートだと感じた。豊島美術館を前に眺め風景は圧巻であり毎日でも訪れたい場所である。

水滴を触ると職員に怒られた。構造的に興味が沸き思わず触れてしまったがなぜかというと、これもアートだという。たしかに眺めるだけで癒されてく。

おわりに
実際に充実した時間を過ごすことができた。最初に述べたように「アートとは?」の定義について考えかたが変わってきたことは確かだ。感性に訴えかけるものには変わらないが、今は多角的な視点をもって感性に訴えかけるもの。と改めて述べたい。全ての時間と空間が実りであって、成長であったことは間違いないと思う。今回の視察に協力いただいた方々に感謝を申し上げ本レポートとさせて頂きます。ありがとうございました。
