2019年 直島特別例会レポート(直島・豊島)

直島・豊島合宿を通して

黒田 新士 (岡山政経塾 18期生)

● はじめに
 “アートとは何か?”入塾して最初の例会で行った“定義について”の項目の一つである。その中で私は“考えや感情を形や音として表現する活動”と定義しているが、今回の直島・豊島合宿の中で“アートとは何か?”に関して、再度深く考えることを私自身最大のテーマとして臨んだ。岡山政経塾に入塾するまではアート・芸術に関して全くと言っていいほど興味を持っていなかった私にとって、このような心境で岡山政経塾最大のイベントである今回の合宿に臨んでいること自体、半年前には全く想像できなかったことである。2日間の軌跡をたどりながら合宿の内容を振り返ってみようと思う。

(『赤カボチャ』:草間彌生)       (直島行フェリー)  



  (地中美術館:航空写真)
● 地中美術館
 直島にわたり最初の訪問先が、私自身最も関心を持っていた地中美術館。瀬戸内の景観を損ねないように、大半が文字通り地中に埋設されている美術館で、クロード・モネ、ジェームス・タレル、ウォルタ・デ・マリアの作品が、安藤忠雄氏設計の建物の中に恒久設置されている。
 チケットセンターから入場口まで少し距離がある。この間に「地中の庭」があり、クロード・モネの自宅の睡蓮の池や花木を参考に庭園が再現されており、すでにこの段階から地中美術館の鑑賞が始まっていることに気づく。
 館内に入るとその建物のほとんどは地中に設置されているが、要所要所で自然光が絶妙に取り込まれており、建物の形状だけではなく、自然と一体となったこの建物自体がアートであることがすぐに分かった 。

(『オープン・フィールド』:ジェームズ・タレル)

(『タイム/タイムレス/ノー・タイム』:ウォール・デ・マリア)

(『睡蓮』:クロード・モネ)


 まず向かったのが、ジェームズ・タレルの作品で、彼は光そのものを巧妙に利用した作品が多く光の芸術家と称されている。『アフラム、ペール・ブルー』は青色光をプロジェクターで壁に投影し、まるで物体が浮き出ているように感じる不思議な作品で、何の前知識のない私はいきなり変な感覚におそわれた。目の錯覚なのだろうがすごく引き込まれる作品であった。『オープン・スカイ』は天井の中央が四角に切り取られた部屋で、壁にもたれて空の移り変わりを眺める作品である。切り取られた部分の壁は薄く、本当に空が切り取られているかのように見え、刻々と移り変わる空の様子を鑑賞することができた。『オープン・フィールド』は今回の合宿で訪れた中で最も印象深い(衝撃を受けた)作品である。靴を脱いで部屋に入ると、前方に青色の四角のスクリーンが写っていた。階段を上りそのスクリーンに近づくと、なんとその中に入っていけるではないか!部屋の中は前方に緩やかに傾斜しており、どこまでも際限なく進んでいけるような世界。突如後ろを振り向くと、入ってきた場所が今度はオレンジ色のスクリーンになっている。???。何がどうなっていたのだろう。もう一度今度は冷静に見てみたい作品である。
 続いて向かったのが、ウォール・デ・マリアの『タイム/タイムレス/ノー・タイム』という作品。階段状の広い部屋の中央に巨大な(直径2.2m)球体が一見不安定に鎮座しており、その周囲に多角形(3~5角形)の金色の柱が多数置かれている。球体・線・多面体により構成される多面的な作品である。天井からは自然光が入るように設計されており、天から差し込む光によって空間全体が表情を変え、神秘的な祭壇のような印象も受ける。
 最後に訪れたのが、クロード・モネの作品である。アートに無知の私でも知っているモネの『睡蓮』。靴を脱いで前室に入ると、計画されたかのように正面に2×6mの大壁画が現れる。「オ―ッ」。心の声が漏れた。一面白タイルが敷き詰められた部屋の中に歩みを進めると、白壁で囲まれた部屋の中に『睡蓮』シリーズの壁画が他に4つ設置されてある。他の作品と同様、地中にありながら天井からは白色の自然光が降り注ぎ、時間によって違う表情を作り上げる。角が丸く削られた一面の白タイルは柔らかい自然の光と相まって、『睡蓮』のやさしい印象を際立たせている気がした。その美しさと迫力にしばし時間を忘れてたたずんでいた。
 ほんの1時間あまりの滞在時間であったが、自分の中ではこれまでには経験したことのない不思議な感覚が頭の中を巡っていたような気がする。地中美術館の素晴らしい作品から、無意識のうちに何かエネルギーをもらっていたのかもしれない。

● 家プロジェクト
 本日の宿泊場所であるつつじ荘で昼食としばしの休憩をとった後、「家プロジェクト」の地域に向かった。「家プロジェクト」は本村地区において展開されるアートプロジェクトで、点在していた空き家などを改修し、空間そのものが作品化されたもので、現時点で6軒が公開されていた。今回は時間の都合で、『護王神社』を除く5軒を巡ったのでその印象を紹介したいと思う。
(『碁会所』:須田悦弘)    (『角屋』:宮島達男)
 須田悦弘氏の『碁会所』は、かつて島民の人たちが碁を楽しんでいた建物を作品として利用したもので、中には木を素材にして彫刻された椿の花や竹が展示されていた。実際の庭の椿と彫刻の椿、本物の竹と彫刻の竹の対比が見事な作品であった。千住博氏の『石橋』は、製塩業を営んでいた石橋氏の家屋を空間ごと作品化したもので、中には『ザ・フォールズ』という襖絵が2点展示されていた。本当に水しぶきを感じるような迫力と、同時に涼しさも感じる美しい作品であった。大竹伸朗氏の『はいしゃ』は、かつて歯科医院であった建物をそのまま作品化したもので、中には廃船部品を使った作品や自由の女神(女神の自由?)などが展示されていた。実際の生活を感じる部分と廃品を用いたアート作品が混在する奇妙な空間であった。宮島達男氏の『角屋』は、島民の方々それぞれが決めたスピードで動く、カラフルなデジタルカウンターが水中に置かれている作品で、家プロジェクトの第1弾となった作品とのことである。その見惚れるような美しさもさることながら、単に居住地域にアートを持ち込むのではなく、住民の方々と“一緒に”作り上げた作品、という点に感慨深さと本プロジェクト成功の礎を感じた。そして最後に訪れたのが、地中美術館で私自身非常に感銘を受けたジェームズ・タレルが手掛けた『南寺』(安藤忠雄氏設計)であったが、こちらもまた期待を裏切らないものであった。暗闇の中を壁伝いに前に進むように促され、そして何かに腰掛け、そのまま前方の淡い光の動きをただジーっと眺めていた。静寂と暗闇。。。5分くらいたったであろうか、前方にぼんやりと白い長方形が見えてきた。目の錯覚かと思い何度も瞬きをするが、確かに何か四角の物体が浮かび上がってきている。一体どういう仕掛けだろう。。。案内の方の説明では、この長方形の光は部屋に入った時からずっとそこにあった、とのこと。そうか!目の暗順応によって見えるようになっただけなのか!今回の鑑賞は、不安と驚きが強く残ったものであったが、是非もう一度訪れて、次はこの10分ほどの時間を自分の心の内を見つめなおす時間に使ってみたいと思った。

    (直島町役場)
 作品と作品の間は徒歩で移動するが、実際の直島の生活空間を垣間見ながら、時には現地の人とお話をしながら、美術館における作品鑑賞とはまた違った趣があった。海外からの観光客も多かったが、このようなプロジェクトを通して日本の生活空間を感じてもらうことも有意義なことだろうと感じた。

● ベネッセハウス ミュージアム・パーク

    (『雑草』:須田悦弘)
 次に訪れたのがベネッセハウス ミュージアム棟。「自然・建築・アートの共生」をコンセプトに、美術館とホテルが一体となった施設である。2階のテラスで集合写真を撮影した後、1階へ階段を降りようとしたとき、壁のコンクリートになぜか雑草が。。。家プロジェクトでも登場した、木の彫刻で著名な須田悦弘氏の作品『雑草』。安藤忠雄建築のコンクリート壁と一体となり、あり得ない現実をあたかも自然に形作り、見物者に「気づけるか?」と試しているかのような遊び心を含ませた、見事なアートである。言われて初めて気づいた私ではあったが、この違和感にどのくらいの人が案内なしで気づくことができるであろうか。
 階段を降りた所には柳幸典氏の戦争を題材にした作品『ザ・フォービドゥン・ボックス』と『バンザイコーナー96』があり、改めて日本という国民性と戦争について考えさせられた。続いて1階の広間では、自然の素材を使って作品を手掛けるリチャード・ロングの『瀬戸内海のエイヴォン川の泥の環』、『瀬戸内海の流木の円』、『十五夜の石の円』、『60分歩く』の4作品を鑑賞した。彼が実際に直島に滞在し、建物から見える瀬戸内海の美しさを感じながら、彼自身の故郷の自然の素材を用いて制作した、いわゆるサイトスペシフィック・アートの醍醐味を堪能することができた。別室には、ジャン・ミシェル・バスキアの『グア・グア』が展示されており、奇妙な絵や文字・図形などで構成された印象的な作品であった。そしてサイ・トゥオンブリーの『無題Ⅰ』。一見落書きにしか見えない巨匠の作品は、残念ながら私には最後まで落書きにしか見えなかった。
 地下1階では、まず館内で唯一触れることが許された安田侃氏の作品『天秘』の大理石の上に寝そべって空をしばらく眺めた。その後、ジョナサン・ボロフスキーの『3人のおしゃべりする人』の耳に残るおしゃべりを聞きながら、柳幸典氏の『ザ・ワールド・フラッグ・アント・ファーム』を鑑賞した。着色した砂で作った国旗の額を細いチューブでつなぎ、そこに蟻を放して自然に巣を作らせた作品。人間の作った国境とそこを自然に行き来する蟻。戦争や国家の在り方に関して改めて考えさせられる作品であった。浜辺に打ち上げられた黄色と黒のボートが描かれた絵画、ジェニファー・バートレットの『黄色と黒のボート』を鑑賞しながら後ろを振り返ってみると、実際に窓から見える瀬戸内海の浜辺に絵画と同じ構図で黄色と黒のボートが浜辺に置かれているではないか!サイトスペシフィック・アートのまた別の楽しみ方を体感することができた。屋外に出てみると、そこに展示されているのが杉本博司氏の作品『タイム・エクスポーズド』。杉本氏が世界中で撮影した人工物の一切入っていないモノクロの水平線の写真が一列に展示されているが、視線をそのまま右に振ると、現実の瀬戸内海の水平線に連なる、何とも見事な構図であった。最後に訪れたのが、ブルース・ナウマンの作品『100生きて死ね』。大広間にカラフルなネオンで電光表示された100対の「〇〇 AND LIVE」と「〇〇 AND DIE」がランダムに点灯しており、隣り合わせにある生と死について改めて考えさせられる作品であった。
 続いてパークに移動し、世界の宗教観を題材にした杉本博司氏の『光の棺』などの作品をしばし鑑賞した後、福武塾長の講演会場であるつつじ荘に移動した。

● 福武塾長ご講演 “幸せを作る直島メソッド ~幸せなコミュニティとは~”
 “日本を元気にするには地方が元気にならんといかん!”から始まった福武塾長のご講演。福武塾長がこれまで取り組んでこられた直島・豊島をはじめとした開発事業、瀬戸内国際芸術祭の現状と評価、地域活性化への熱い思いと今後の方向性に関して、印象的なスライドとデータをまじえて分かりやすくご説明頂いた。いくつかのフレーズが非常に耳に残っているので、それを紹介しながらご講演内容を振り返ってみたいと思う。
【在るものを生かし無いものを創る】
 今回の直島・豊島合宿を通して、私の中で最も心に残っている言葉である。その場所にある特徴・長所を生かし、そこに新しいものを取り入れて他にない魅力的なものを創る。これは直島・豊島のアートを通した開発だけではなく、地域活性化のための街作りや、様々な組織作りに関しても幅広く当てはまることだと思う。現在自分が抱えている問題とも合致し、一生心に留めておきたい教訓である。
【自然こそが人間にとって最高の教師】
 近年様々な分野で技術革新が目覚ましく、日常生活において我々のまわりには人工のもので溢れかえっている。その多くは確かに有意義なものであり、すでになくてはならないものではあるが、同時に自然の有する魅力とどんなに文明が発展しても忘れてはいけない自然の摂理が存在することを諭す言葉のように感じる。今回の合宿を通して自然というものに関して再考させられた。
【人の行く裏に道あり花の山】
 元々は千利休が詠んだ詩で、投資の世界では格言とされているもののようだ。“多くの人が行く場所よりも誰も行かないようなところでこそ満開の桜が見られる”という意味から、“前例がないことに挑戦する勇気を持つことの重要性”を示唆する格言である。まさに福武塾長が体現していることであるが、前例のないことでも恐らく福武塾長には確固たる成功の確信があって行っていることなのだと思う。是非岡山政経塾での経験を通して、その“見る目”を養いたいと思う。
【幸せなコミュニティとはお年寄りの笑顔があふれているところ】
 岡山政経塾最初の例会で行った定義についての議論、その中のテーマの一つが“幸せとは何か”であった。そして、現在私が一番興味を持っているのが、まさにこの“幸せとは”についてである。福武塾長は、お年寄りが笑顔で暮らせるコミュニティが“幸せな場所”であると説明された。確かにそれは正しいと思うが、私はお年寄りもむしろ、未来ある若者が笑顔であることの方がより重要ではないかと思っている。また福武塾長とも話をさせて頂きたい点である。
【時代は欧州からアジアへ】
 アメリカファーストの国である日本。しかしながら近年の中国やインド、シンガポールの台頭を見ると、確かに今後はアジアが世界の主役となる時代が来るのかもしれない。その時日本はどのような立ち位置にいるのであろうか?目の前の日常に忙殺されている今の自分にとって、このような広い視点で物事を考えることの重要性を改めて認識させて頂いた。

● 夜の直島・朝の直島

(つつじ荘から眺める瀬戸内海)
 慌ただしく東京に向かわれる福武塾長をお見送りした後、我々はBBQでおいしいお肉と、福武塾長から差し入れして頂いた青ウナギの蒲焼きを堪能しながら、今日一日のそれぞれの体験を語り合った。穏やかな瀬戸内の潮騒は本当に心地よく、夕日に照らされ刻々と姿を変える瀬戸内海のきらめきを眺めながら過す一時は本当に幸せな時間であった。日が落ちてからは暗闇の瀬戸内海を体感する者、早めに床につく者、遅くまで語り合う者、それぞれの形で一晩を過した。
 暖かい日差しで目覚めた朝は、(夜更かしをした割に)意外と爽快で、心地よい潮風に吹かれながら朝食を頂き、その後フェリーでもう一つの訪問場所である豊島に向かった。

● 豊島問題 ~豊島産業廃棄物不法投棄現場を訪問して~
 香川県出身の私にとって、あれは中学か高校生くらいの時であったろうか、テレビの全国放送でこの問題が連日取り上げられていたことを思い出した。その当時は、“豊島という香川県の島に産業廃棄物が不法投棄されてそれが摘発されて問題になっているんだ”といったくらいに、同郷の問題事でありながら他人事のように考えていた。今から思うと、その当時の香川県の対応もそうだが、その程度の問題意識しか持てなかった自分を本当に恥ずかしく思う。
  (豊島産業廃棄物不法投棄現場)  (調停申請人目録)
 今回の訪問では、この問題の渦中で奮闘された石井亨氏に、実際の不法投棄の現場を案内して頂き、その後当時の資料を見ながら“豊島問題”の歴史について詳細に説明をして頂いた。松浦庄助を中心とした豊島総合観光株式会社が悪の根源であることに揺るぎはないが、私はその当時の香川県の対応のまずさの方により関心を覚える。もう少し早い段階で誰か一人でも手を上げることができなかったのだろうか。いや、良くないことだと思っていた人は少なからずいたと思う(思いたい)が、それを発言できないようにする組織の在り方に問題があるのだろう。どのような組織であれ、その中で問題事は必ず勃発する。その時にその問題をどのように解決するか、その自浄能力にこそその組織の力が現れるのではなかろうか。
 またそれと同時に、石井氏を中心とした豊島住民の方々の団結力にも頭が下がる思いである。悪事を続ける松浦と見て見ぬふりを続ける香川県との間で幾度となく八方塞がりとなった状況でも、どこかに活路を見つけ戦い続けた結果、最後に勝利を勝ち取った豊島住民の方々、そこにはまさに理想の組織の在り方の教訓があるように思う。信頼できるリーダーと強い絆で結ばれた仲間、目標に向かっての弛まない努力と先を読む力。強い組織、成功する組織には、これらの要素が欠かせないのだと思う。今度は他人事とはせずに、今回学んだことを教訓に自分の課題にいかしていきたいと思う。

● 豊島美術館
 路線バスに乗り換え、“食とアート”をテーマにしたレストラン、『島キッチン』で昼食を取った後、バス乗車までの待ち時間に、2人のカップルで色々なことを行うある意味印象的な『檸檬ホテル』を体験した。到着した路線バスには乗客が満員で結局歩いて豊島美術館に向かうことに。最高の瀬戸内海の景色を正面に眺めながら皆と談笑しながら歩く一時も非常に思い出深いものとなった。バスで訪れてもバス停から美術館までしばらく歩く必要があり、その美術館を訪れる道中も含めて(瀬戸内海という美しい自然を体感できる)演出されている点が印象深かった。

    (豊島美術館)
 豊島美術館には、アーティスト 内藤礼氏と建築家 西沢立衛氏により創られた『母型』というコンクリートで作られたドーム状のアートスペースがあった。天井には2カ所の開口部があり、風・音・光を内部に取り込み、地面のいたるところから水が湧き出していた。湧き出た水の流れを見つめている者、開口部から外を眺めている者、寝転がってじっと目を閉じている者、みんなそれぞれの方法でアートを体感していた。私も皆のまねをしながら感覚を研ぎ澄ませる。湧き出した水は風に吹かれて形を変え、流されていく。別の水玉と交わり大きくなったかと思えば、途中で分離して別の方向に向かって、大きな水たまりに集まる。同じところから生まれた水玉も、二つとして同じ形、同じ道筋をたどるものはないが、最終的には同じところに行き着く。これが自然の摂理というものなのだろうか。このアートが伝えたいメッセージとは何か違うような気もする。体の底から感じるような特別な感情は沸いてこない。小山事務局長より事前に、ここで涙した人もいるという話を伺っていたので、そのような自分に焦りと情けなさを感じつつ鑑賞時間が終了となった。
(『母型』:開口部)      (『母型』:泉)
 これまで文字や言葉でしか情報を得てこなかった自分には、自然をテーマにしたアートが発するメッセージを受け取ることができなかったのであろうか。美しい瀬戸内の景色を背に、そのようなことを考えながらバス停へと向かった。是非もう一度訪れてみたい。アートの感性を磨いて再挑戦しに来たい。豊島美術館という多くの人が絶賛するアートにリベンジを誓って帰路についた。

● その後
 生と死をテーマとした、横尾忠則氏の作品を展示している「豊島横尾館」でしばし鑑賞した後、フェリーで直島に戻り、解散となった。私は、少しでも多くのアートに触れるため、大竹伸朗氏が手掛けた入浴できるアート施設『I♥湯』を体感し、その後最終フェリーまでの時間にフランス料理を堪能した。まさに心も体も満腹となった2日間の直島・豊島合宿であった。
(『I♥湯』:大竹伸朗)      (フランス料理)

● 最後に
 さて、最初に自分に課した課題に戻ってみようと思う。“アートとは何か?”今の私はこのように答える。“アートとは、自然などあらゆるものを利用して感情や考えを表現した作品”。スクラップアートなどに代表されるように、用いるものがたとえゴミの寄せ集めでも、そこに何らかのメッセージを込めて配置・表現すれば、きっとそれはアートになる。ただし、それを受け取る側の評価でそのアートの価値は変わる。文字を使ってメッセージを伝える文学や、音を使ってそれを表現する音楽。アートには、用いるものに制限はなく、何を用いて表現しても良い。そして自然というものは最もそれに適した題材なのかもしれない。今回の合宿を通して、アートの魅力に気づくことができたことは、私自身、一生の宝物になったと思う。しかし同時に、今現在の私は、アートを介しての情報のやりとりに関しては幼児レベルであることがよく分かった。今後少しでも感性を磨き、是非今度は、家族や友人を連れて直島・豊島を再訪し、今回の合宿で得た体験を皆に伝えられるようになりたいと思う。
 最後に、この合宿を企画して下さった小山事務局長と、合宿中ずっと案内・サポートをして下さった西美篤さんに心より感謝を申し上げ、私のレポートを終えたいと思う。