2019年 直島特別例会レポート(直島・豊島)

塾長特別例会「直島・豊島合宿」

松本 岳史 (岡山政経塾 18期生)

1. はじめに
 今回の合宿を振り返り、いかに自分が興味あるものにだけ触れて、興味の無いものに対して目を閉じていたかに気付かされました。間違いなく同期の中では一番直島・豊島の近くに生まれ育った自分、この合宿以前にも何度も何度も訪れた場所。私にとっては「仕事」をする場所でしかなかった、営利活動を行う場所でしかなかった。
 日本の近代化・高度経済成長期に様々な「よごれもの」を引き受けてきた島々、使い捨てにされそうな島がアートで蘇った一部に触れる事が出来ました。

  • ① 幸せなコミュニティとは人生の達人であるお年寄りが笑顔であること、直島のお年寄りと都会の人間を結びつけたモノ、それが現代アート。

  • ② 地域の問題を解決するのは議員や役所の力ではない、そこに残っていたコミュニティ力である。豊島産廃を解決に向けて動かした住民の力。

  • キーワードは「コミュニティ」
2.アート鑑賞
 アートとは無縁の生活を送っていた私は地中美術館に足を踏み入れても、何をどう楽しめばいいのか不安でしかありませんでした。ところが不安は一瞬にして好奇心に変化、そこにあったのは「展示している美術品」ではなく「作品の為に一から作られた美術館」でした。
 私の知る美術品は箱物を建築し外界から遮断し、空調と照明が施された「密室」のスペースに展示されている芸術作品、それは朝も昼も夕方も、常に観客にきちんと同じ物を提供する空間・時間でした。
 直島・豊島にあったものは美術館そのものがアートであり、しかも「有るモノを壊して新たに作る」ではなく、すでに有る物を活かしながら新たな物を造ることでした。自然豊かな瀬戸内海の景観を損ねることなく、豊かな自然の中にこそ人間にとって最高の教えがあると現代アートを通じてメッセージを送っていると感じました。

3.塾長講演
 「日本には歴史があっても文化が無い」明治以降に日本で生まれたものがなく、今の日本で大切にされているのは神社仏閣・茶道などにしても江戸時代以前のものである。江戸時代が一番理想的な形ではあった、地産地消が実践されていたのもこの時代であり、今のように田舎・地域をないがしろにすれば、食糧自給率の低いこの国はお金が無くなった時点で食べるに事欠く状態にすらなろうと塾長は警鐘を鳴らされている。
 この数十年で各国は2%から3%の経済成長を成し遂げている、賃金があがっていないのは日本とイギリスくらいである、こんな状態が10年も20年も続いていくと、大変な差になる。
 いまから10年の間には日本がアメリカ追従のまま行くのか、中国に属するかを選択するような時代がくるかもしれない。それくらいすでに変化をしているが日本のマスメディアは何も発信しない、なぜなら世界を知らないから、ぜひ塾生には世界を知ってほしいとの教えでした。
 また国内経済に関して、東京が元気になると地方が駄目になる。地方が元気になるには地方の中心市街地が活性化する必要がある。それがわかっていてなぜ地方がシャッターばかりの市街地になるのか、それは民主主義の弊害であり、国も地方も議員が国民益を考えて動いていないから。岡山を例にあげても、一人の市議会議員を除いてみんな中心市街地以外が地盤であり、残りの一人も野党の議員。これで中心市街地の為の政治が行われるはずがない、しかも議会や行政が動いて地方が活性化した試しは無く、やはりコミュニティに活力がなくては地方は良くならないと学びました。
 これは、丸亀町商店街で学んだ事と完全に一致しています。

4.豊島産廃問題
 アート・塾長講演に並ぶ、今回の合宿のテーマ「豊島産廃問題」はじめて実際に不法投棄が行われた現場に訪問、見学と説明を頂く事が出来ました。今回は、てしまびと編集委員会の代表石井亨様にご案内頂きました。
 そして我々が訪問した翌日こそが、1978年から1990年の間に持ち込まれた91万トンもの産廃を運ぶトラックの最後の一台が豊島を出発する歴史的な日でもありました。
 本来この産廃処分場の建設に島民は反対でした、しかし時の行政トップは「住民の反対は事業者いじめであり、住民のエゴである。豊島の海は青く空気は綺麗だが、住民の心は灰色だ」と言い放ち、島民は香川県を捨て玉野市に帰属しようとまで両者の心には隔たりが産まれるのです。
 行政は「安全である」とか「無害である」また実際に持ち込まれているシュレッダーダストに対しても「金属回収の原材料」と詭弁を言い、立ち上る野焼きの黒煙に対しては顔を横に向け目を閉じて「見えん!」と言い放つ始末。
 根幹にあったのは経営者の暴力に怯える行政職員の人間的な弱さと、行政が間違った事をするはずが無いという「無謬性」でした。島民は戦うことを決めて弁護士に相談、今回の案内をしてくれた石井氏は県議選に出馬もし、実際に痛みを伴う運動を繰り広げていく。その中で誹謗中傷もあり、様々な成功失敗・紆余曲折を繰り返し、最終的に2000年に調停が成立し県知事が実際に謝罪し、直島での無害化処理までこぎつけました。
 そこまでたどり着いたのは島民、特に高齢の方々の「孫の為に一矢報いたい」という、次世代に責められぬよう恥ずかしく無いよう、島民一人一人が当事者として戦い続けた成果だと教えて頂きました。
 「一言で表すなら(島ゆえにコミュニティが現存していたから成しえた)と私は感じています」と、最後フェリー乗り場で別れ際に石井様の言われた一言が印象的でした。

5.終わりに
 夏には家族旅行ですら丸2日間もスケジュールを空ける事は無かった、働き始めてからの20年。そんな私を今回の合宿へ参加したいと思わせたのは小山事務局長と、11名の同期塾生の皆さんの存在です。
 昨年度の途中に友人から政経塾を紹介頂き、数回の例会を見学させて頂きました。そして講師のお話を受けて帰宅する。たしかに勉強にも刺激にもなる時間でした。だから入塾を決意しました。
 その中で、元々入塾式前に直島合宿は「初日だけ」とか「福武塾長の講義は受けたいから夕方だけで」という気持ちがありました。しかし春から例会を重ね、例会後の時間を同期の皆さんと重ねる度に「その後」を含めた時間が学びだと気付きを頂きました。聴いて学ぶだけなら、テープでも動画でも良い。しかし参加して触れた者同士が意見を出し合い、学んだ情報を多面的な角度で捉えることにより、より物事の本質に近づけるのではないかと思いました。

 塾という名前の「学び舎」にてお互いが成長する、それが岡山政経塾。