随想 - 直島・豊島合宿を通じて
香川 一美 (岡山政経塾 18期生)
【はじめに】
「現代アートとは?」の定義もぼんやりとしたままで「私にはわからないかもしれない…」という不安を抱えつつ合宿当日を迎えましたが、二日間の活動を通じて様々な想いが芽生えました。感じたことや思ったことを随想にしたためたいと思います。
【福武塾長の講演】
瀬戸内国際芸術祭2019の春会期の来場者数は、前会期比約1.5倍強の38万6,909人。瀬戸芸ボランティアサポーター「こえび隊」参加者のうち、30.1%は海外からの参加者。工業の発展に伴い人々の結び合いが失われていく中、人間同士が心を合わせ、自然と調和をとって謙虚に生きていく生き方をわが身で体感したいと多くの人が評価し来訪するのが瀬戸内の島々であり、とりわけここ直島です。福武塾長は、講演の中で「ただ鑑賞することではなく可能な限り五感を働かせて体験を積む。中央文化ではなく地方文化。土地ごとの文化の特性に自信を持つ」さらに「マズローの欲求段階説の頂点は「『自己の成長』を図りたいと思う欲求があるが、実は更に上があり、身近な組織や企業から地球全体など『自分が属するコミュニティ全体の発展』を望む欲求がある」と仰いました。


【地中美術館】
ガイドを担ってくれたOB 6期生の西美さんは、作品説明にとどまらず普通なら見逃してしまうポイントや見方を教えてくれて、建築当時の安藤氏とアーティスト、福武塾長の熱いやりとり、工事現場での試行錯誤など背景の話も盛り込まれ、真の魅力にぐいぐい引き込まれました。地中美術館は地下にありながら自然光が降り注ぎ、一日を通してまた四季を通して作品や空間の表情が移り変わります。「何度も来たくなる」と言われるとおり「同じ時」は二度とない。「今」を大切に生きることの意味を感じました。




【「睡蓮の池」/クロード・モネ】
絵画5点の中で最も魅せられたのは、正面の「睡蓮の池」でした。魅せられる。というよりよくわからないから気になる。というほうが正しかったと思います。私には、モネと同じように空間や水に紫色が見えたことがありません。「私たちは本当にみんな同じ色が見えているのでしょうか?」「今自分が見えている世界は全て事実ではないかもしれない」。モネの色覚を通して「世界はこんなにも美しい」ということを気付かされます。現代アートを見るとき、自分の心の在り方が大きく反映されているかもしれません。美しいものを見るためには、自分の心を整えることが大切だと知りました。


【家プロジェクト「南寺」/ジェームズ・タレル】
入り口で、黙って右手を壁に添えて前に進むように促され、一人ずつ暗闇の中に入っていく。何も見えない、何も聞こえない、ただ自分の右手から伝わる壁の存在だけが頼り。真っ直ぐかと思いきや直角に曲がる壁にぶち当たる。誘導されたとおり手探りで椅子を探して腰をかける。すぐそばに座っているはずの人の息遣いさえも聞こえず、シーンという想像音が頭をよぎります。しばらくすると目の前に白いものがぼんやり見えてきました。その光はこの部屋に入った時からあったのだと聞いて驚きました。暗闇の中で感覚が研ぎ澄まされ、次第に光が見えてくる体験そのものが作品だという。「目を開けているのに何も見えない」この「恐怖」は体験した人だけにしかわかりません。自分で見ることができる「心の闇」は乗り越えられるもの!臆病になっているだけで本当の恐怖ではない!と悟った貴重な体験でした。

【豊島】
「愛し守る」ということは、包み込む優しさだけではなく、ひたむきさや強さ、素直さも必要です。時には激しくぶつかり合ったり傷ついたりすることもあるのだと。どんな結果をもたらすかはわからなくても、決して真実から目を背けるのではなく、知ろうとする勇気。1990年の約100万トン近い有害産業廃棄物の不法投棄事件から今もなお『自分が属するコミュニティ全体の発展』を意識し、愛ある行動を続ける島民の方々。自然が発する生のエネルギーは人の心も清く強くする。勇敢に戦ってこられた先代に寄り添い、次の世代である私たちや、子、孫がその意志を引き継ぐ時がきていることを知った時、体は老いても心が老いてはならないのだと強く感じました。

【最後に】
自分の心の在り方が、見るものも出会う人も変えていく。作家とその背景を知り、思いを馳せ、豊かな思考を巡らし心踊らされる体感ができるなら、それが現代アートの醍醐味なのではないかと思いました。今回このような素晴らしい学びの機会を与えてくださいました関係者の皆様に厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
また来年も行きたいです。福武塾長、次回は空海に乗せてください!食事もご一緒できることを楽しみにしています!

以上