2019年 直島特別例会レポート(直島・豊島)

世界から注目される瀬戸内の島へ-直島合宿-

岡田 康男 (岡山政経塾 18期生)

 家を出て玉野方面へクルマを走らせること約30分、天気予報とは打って変わって晴天の宇野港へ到着。切符を買いに待合所へ入ると、まだ朝の9時前であるにも関わらず、沢山の観光客が次のフェリーが寄港する時間まで待機をしていた。同期の塾生達と直島行きのフェリーに乗り込み、しばらくすると直島の宮浦港が見えてきた。港へ到着後、直ぐにつつじ荘に向けクルマで出発。これから2日間の直島合宿の始まりである。

 つつじ荘に到着し、荷物を降ろしてから地中美術館へ向かった。ここでは3つの作品を鑑賞することができるが、まず目を引いたのが構造物の形だった。コンクリートの構造物が一部を除き、大部分が地面に埋まっているのである。そして四角、三角、直線、丸等の幾何学を意識したデザインとなっており、大きなコンクリート1枚1枚が多様なサイズの壁となり、空間そのものが非日常を感じさせる作りだった。美術館全体をグルリと回り展示物の鑑賞に進んだ。(イメージ画像は公式ホームページより転載させていただいております)

・クロード・モネ
 私は美術に関して非常に疎いので、アートに触れることで感じられるものがあるかどうか不安であったが、そのような不安は直ぐに消えてしまった。まず暗い前室から奥の明るい展示室を見ると、非常に大きな絵が目いっぱいに入ってきた。今までも美術館自体は何度も行ったことはある。しかし一般的な美術館は、高価な作品が額縁やショーケースに入って並べて展示されているだけであり、美術として驚いているよりも価格を聞いて驚いているだけであり、特に深く考えさせられることもなかった。ここで初めて地中美術館は展示物だけでなく、構造物を含めた空間全体がアートになっていることに気づいた。

・ジェームズ・タレル
 オープンフィールドという作品を見るために長い列に並ぶ。8人ずつ案内され展示室に入ると、暗い部屋にオレンジ色のスクリーンだけが見える。手前には7段ほどの階段があり、案内人の指示のもと1段ずつゆっくりと階段を上った。1番上まで来て案内人から止まるよう指示をされ、目の前にあるオレンジ色のスクリーンを凝視していると「ではゆっくりと奥へお進みください」と言われ困惑する。このスクリーンに触れということなのか?と考えながら手を差し出すと、スクリーンの中に手が入ることに気づき予測不能な展開に驚愕した。自分の見ていたものはオレンジ色のスクリーンではなく、人が何人も入れるオレンジ色の巨大な空間だったのだ。この時、人間の目に見えているものは非常に曖昧であり、いい加減なものであることを知った。

・ウォルター・デ・マリア
 まず部屋の中央にある大型の球体が目に入る。壁際には音叉のような金色のオブジェが無数に配置されており、天井は四角く切り取られ、そこから後光のように光が差し込んでいる。光は球体やオブジェを照らし、影となった部分が時間と共に変化をしていく様子を楽しむ作品のようだ。今回は時間に限りがあったので、次に来た時には光の変化による様々な表情をゆっくりと鑑賞したい。

 地中美術館からつつじ荘に戻り昼食のカレーを食べてから、家プロジェクト見学のために移動。移動の途中にも所々にアートが描かれている。当初は計画の一環として行われていたものが、観光客増加と共に地元住民や県外からの移住者も自発的にアートを増やし島全体で取り組みが行われている様子が伺えた。

・歯医者
 廃棄されたものを組み合わせて構築した外観がひときわ異彩を放っている。中に入るとひんやりとした暗い空間には大きな三角のオブジェがある。どうやら船の底部分らしいが船底なんて間近で見る機会はないので迫力で圧倒された。となりには女神の自由という作品があり、自由の女神像を模した巨大な作品が展示されていたのだが、あまりにも大きいので、二階から見下ろさなければ全体像が見えないほどであった。

・南寺
 案内人より中へ誘導されるも、完全に真っ暗で何も見えない。案内人の声だけを頼りに前へ進む。見えないながらもベンチがあり、案内人の指示通りそこに座る。
 しばらくお待ちくださいと言われ、その状態のまま数分待つが、特に何か変化があるわけでもなく、相変わらず何も見えない。しかし、終了1分前くらいから徐々に奥のスクリーンが見えてきた。何かを映し出したのかと思ったが、案内人の説明によると最初からスクリーンは映っていたとのこと。暗闇に慣れ瞳孔が開くことで見えるようになったのだという。前述のジェームズ・タレルの作品ということで、光について深く考えさせられる貴重な体験だった。

 家プロジェクトからミュージアムへ移動。ここでは一般的な美術館のように作品が部屋ごと展示されていた。一般的と言っても他の美術館とは大きく違うこともあり、作品自体が絵画を展示しているだけでなく、水平線を周りの風景に合わせて展示してあり、展示物自体もアリが巣を作る習性を活用した国旗をモチーフにした作品や、廃棄品だけを集めて一つの作品にしてしまう等、無価値なものから価値を見出すという、無から有を作り出すミュージアム全体のコンセプトが肌で感じられた。

 そこから今回のメインイベントである、福武塾長の講演のためつつじ荘へ戻った。福武塾長の講演は明瞭だった。今のような政治や政策を続けていけば、オリンピックを含め東京一極集中が進むだけで、地方創生どころか地方はどんどん寂れ、日本の未来は暗いとのことだった。
 お話の中で伊勢のおかげ横丁、高松の丸亀町商店街、大分の豊後高田市についても触れられ、それらの町は公ではなく民が主体となって町おこしをしていることが功を奏した。政治家は票を得ることだけが目標となってしまい、ばらまきや票を確保しやすい高齢者受けの良い政策を掲げることで、未来の日本人に借金を背負わせている。つまり民主主義の限界を示唆した内容であった。
 岡山政経塾ではこのような社会の問題点を深く掘り下げ、様々なアプローチで無から有を生み出し、直島のように世界中から人が集まる方法を自分達で模索しなければならない。これによって国や政治家に依存することなく、自立した地方化が今後の目標とすべき部分であると痛感した。

 塾長の講演後、バーベキューと二次会では色々な人と語り合った。個々は違えど共通した価値観を持った仲間達なので、時間を忘れるくらい多くの意見交換をした。学生時代を思い出すようなかけがえのない楽しさであった。

 二日目は宮浦港から豊島へ移動。産廃問題の発端となった現場へ案内されヘルメットを被り、案内人である石井様より具体的な説明を受けた。
 産廃事件の詳細な内容は省略するが、この問題による率直な感想は無責任の一言に尽きる。法律の不備もあったとは思うが、逮捕された犯人に課せられたのは罰金50万円だけという何の意味もない量刑であり、再発防止どころかやったもの勝ちという法治国家としてありえない判決だったこと。そして島民から激しい反発があったにも関わらず、産廃収集の許可を出した香川県知事も、事件に対して責任を取らないどころか、島民に批判の矛先が向くような行動を起こす等、非常に後味の悪い内容だった。

 これらの国や自治体が起こした事故や事件は報道を規制され、学校でも教えられず当事者である島民や住民だけの問題となってしまっていることは国の恥であり、間違いは間違いとして認め、改善をしていくことこそが発展であり、隠蔽するなど言語道断である。

 島キッチンで昼食を済ませ豊島美術館へ向かった。美術館までの海沿いの景観も素晴らしく心が洗われたような気分だった。美術館の中にある巨大な構築物は非常に大きな空間があり、光が差し、風が吹き、水が流れ、言葉では表現できない壮大なアートであった。横になると自然と一体化したような不思議な気分で、見るだけでなく体全体で感じられるものが現代アートだと実感した。

 その後、豊島横尾館に行き、生と死をコンセプトにしたアートを鑑賞した。生きている人の見えないところに犠牲となって死んでいる人がいる。犠牲があるからこそ豊かさがあるという事実を文字や言葉でなくアートで表現をしていた。五体満足に生きていられることを当たり前と思わず、感謝して生活をしないといけないと心を戒めた。

 二日間のカリキュラムが終わり、直島銭湯のI❤湯で疲れを癒し、フレンチを堪能してから最終便のフェリーで帰路についた。この合宿で学んだことは、直島に人が集まるのは現代アートという魅力であることで間違いない。
 先人達の遺産を紹介したような観光地とは違い、何もない島から新たな価値を産み出しているからこそ、その魅力に惹かれた人達が集まり、そこから学びを求める人達が集まり、世界中のメディアから影響を受けた人達が集まる。こうすることで人が人を呼ぶ好循環が生まれ直島は世界から注目される島となった。

 直島は芸術に興味がある人は勿論のこと、興味がない人こそ心打たれるものが多いと思う。私自身もう一度行ってみたいと思った初めての美術館であった。この直島での体験や学びを今後の糧として、過疎化の進む地方創生に大きく活用していきたいと思う。