『直島・豊島合宿レポート』
坂元大志 (岡山政経塾 14期生)
●はじめに
直島・豊島ともに私にとっては初めてでした。正直に言うと、岡山政経塾に入っていなければ自ら来ることはなかったかもしれません。「現代アートとはどんなものなのだろう」と期待して今回の合宿に参加しました。●直島・豊島の現代アート
まず思ったのは「こんな発想ができる人がいるのだ」ということです。そもそも地中に美術館をつくる、ただし作品は自然光で見せたいという意図で設計することもすぐには理解できませんでした。緻密な計算のもと、観覧者が実際に動き見ることで作品として成り立つことはこれまでにない感覚でした。家プロジェクトでは、ともするとこれが民家なのかアートなのか区別がつかないほど、街並みに溶け込んでいました。作品の中にも住民の方が参加することで作り上げたものもあり、町全体がアートを受け入れて、見に来る方を歓迎しているように思いました。
ベネッセハウスミュージアムでは1つのフロアを使い、その場で創られていったという作品が印象的でした。理解しようとすると難しいですが、アーティストはこれらの作品を通して何かを表現しようとしていることが感じられました。
豊島美術館ではドーム型の作品内部に入り、その中で寝転ぶことができるという聞いたことのないものでした。全くの別世界にいるような、不思議な時間が流れていました。
直島・豊島の美術館ともに共通していたのは、空間そのものを芸術としてとらえていることでした。これまでは展示してある絵画や物をアートとしてとらえていました。それだけではなく、空間や光、そこへ来ている観覧者でさえも作品の一部となりうる作品群はこれまでにない感覚を与えてくれました。
●講演
福原さんの「美を求めることは本能である」という言葉には納得しました。たとえば景観美は必ずしも生活に必須ではありません。しかし、それが損なわれると不快に感じたりそれを正そうという動きが起きたりすることは感覚的に美しさを求めていることを表しているように思います。福武幹事の講演は「在るものを活かし、無いものを創る」の実践そのものでした。
ゼロから創るということは思いつきますが、在るものを活かすという視点は当たり前のようでいて見落としていた考えでした。また、講演が「日本はおかしい国」の一言から始まったことに驚きましたが、自身の国をそれだけ客観的にお話しできる視点も、私には備わっていないものだと感じました。
●豊島産業廃棄物問題
どうして今までこの問題を知らなかったのだろうと衝撃をうけると同時に恥ずかしさも感じました。かつては山の高さまであった産業廃棄物、事件の当事者である方からのお話し、いずれも現実に起きたこととは信じられないものでした。前日の福武幹事のお話にあった、経済だけで動いた結果がこれなのだと分かりました。都合の悪いことから目を背けてしまうのではなく、自身の目で見て何が事実なのかをつかむことが大切なのだと痛感しました。私には戦争と同じくらい、日本人が知る必要があり語り継がれていく必要があるものだと思いました。
●おわりに
普段接することができないような方のお話をお聴きしたり、解説をして頂きながら作品を見たりと、これまでに無い発想に触れる贅沢な2日間でした。自身で見て、聞いて、体感することがこんなにもおもしろく、刺激になることはこの合宿に参加しなければ感じられなかったと思います。また、OBの方が繰り返し参加される理由もわかったように思います。何度でも行く価値がある、何度訪れても違う発見があるのでしょう。今度は島の方たちのお話も聴きながら改めて作品を鑑賞したいと思いました。
最後に、小山事務局長をはじめ、2日間ご配慮くださった西美さん、関係者の方々に心より感謝申し上げます。