『直島・豊島合宿レポート』
櫻井 透 (岡山政経塾 14期生)
●はじめに
『事務局長が考えた壮大なストーリー』私は直島・豊島合宿をこの一言で表現する。ただ漠然と合宿に参加した私であったが、2日間を通して『見る、聞く、体感する、考える力をみにつける、発想の転換をする』というこの企画を体感し、最後の最後に合宿の壮大な意図を汲み取る事ができた。
今回の様な機会を作ってくださった事務局長に感謝すると共に、企画に関わってくださった福武幹事、西美様、多くの関係者にお礼をお申し上げたい。
●現代アート
現代アートと聞いて人は何を考えるだろうか。大変説明の難しいジャンルであり、多くの人は『独創的な作品』『意味不明な作品』をイメージするのではないだろうか。正直私は現代アートの感覚はよく分からない。だからこそ私は作者の意図を汲み取ろうと心がける。なぜなら違和感のある作品の中には作者が長い時間をかけて創造した想いがあり、作者の背景や、作者の哲学的を捉える事により無機質な作品の中に秘められた本当の想いを汲み取る事ができる。
果たしてこの人は何が言いたいのか、どんなメッセージが込められているのか。作者の意図と自分の理解が一致した瞬間に、なるほどと衝撃が走る。私にとって現代アートとは複雑な問題を読み解くクイズの様なものだ。
●福原市長講演
『美(芸術、デザイン)は人間社会で重要か』という問いについて、自分の人生についてこれほどまでに美(町の景観)について考えた事はなかった。思えば我々が外国や国内を訪れる際に最も期待しているのはその町にある景観ではないだろうか。それは文化と環境が作り出したアートであり、美であると言えよう。つまり時間、素材こそ違うが町の景観=美は人を引きつけるアートと考える事ができるのではないだろうか。だから人はその町に親しみや興味を持ち訪れるのではないだろうか。
もし、同じ質問『美(芸術、デザイン)は人間社会で重要か』という問いがあれば私はYESと答える。
●福武幹事講演
福武幹事には講演、懇親会というお時間を頂いた。率直な感想はエネルギー溢れる人だと言う事だ。今年70歳になられる人間とは思えないエネルギーである。自分の信念を持ち、未だに多くの事を学ばれている。どんな質問に対しても自らの考え方を持ち回答する姿から、ベネッセという会社を大きくしてきたという人間性が現れていた。
福武幹事が語る『在る者を活かし、無いものを創る』これについては文末に持論を述べたいと思う。
●豊島問題 〜歴史が私たちに問いかけるもの〜
現代の日本に、豊島問題と同じ事件が発生すれば我々は島民と同じ様な活動を続ける事が出来るだろうか。ともすれば、TVに映る映像は他の町、他の国の事の様に感じ、自ら住む地域で問題が起こればその地域から避難し問題から目を背けるのではないだろうか。
豊島事件を振り返り学ぶ事は非常に大切だ。もし現代で同じ事が起きたらどうなるだろうか。日本人の生き方。政治の在り方。
豊島の島民からは島民としての威厳、尊厳を感じる。島を守るため、忍耐強く戦う事を決意をしたこと。
豊島問題は資料を通して我々に『あんたら同じ事が起きたら、この島を、この国を守れんのか?』というメッセージを投げかけてくれているように感じた。
●豊島美術館 〜現代が無くしてしまったもの〜
豊島美術館には衝撃を受けた。白い空洞の中にただ水が流れるだけの作品。しかし、その作品は人々の足を止め、時間を止める。太陽の差し込む光と、雲が作り出す陰、そして風の動きと、水の音。まさに五感で感じるアートであった。
ただ、ふと考える事がある。この作品白いドーム(空洞)という事を除き他に何も作品らしいものは無いのだ。
光、風の動き、水の音色。いずれも太古の時代から存在し、現在も存在する。
つまるところ、我々人間は本来自然と共生していたのであって、忘れられていた音色を現代アートというタイトルのもとに再会しただけなのだ。
我々にとって最も帰るべき原点は自然であり、豊島の作品は本来人が最も大切にしてきたものを思い出させる場所なのかもしれない。
●さいごに
直島の現代アートをはじめ、豊島の歴史をこの目で見る事ができた。瀬戸内の島々にはアートだけでなく、この島々の歴史と文化が残されている。
『在る者を活かし、無いものを創る』
そもそもこの島そのものが、福武総一郎という偉人と島の歴史が作り出した壮大な現代アートなのではないかと感じている。
その島(アート)は毎年多くの観光客を心を惹き付けてやまない。