『直島合宿レポート』
滝澤孝一 (岡山政経塾 14期生)
●地中美術館に固定観念と時間感覚を揺さぶられる
40年生きてきて、これが初めての現代アートの美術館。すぐに頭をもたげる論理的思考様式をひたすら押さえつつ、「考えても自分には分からないだろうから」と心を空(くう)にして作品と向き合います。途端に体全体に広がる違和感。異質なものが自分に侵入してきます。拒絶したいような感覚が芽生えた時、「拒絶すべきは作品か、それとも作品を拒絶しようとしている固定観念か」という問いに直面しました。折角の機会なので、固定観念に距離を置く気持ちで、心をそっと作品の方へ進ませます。心が作品に十分に近づいたと思えたところで振り向くと、少し離れたところにある自己の固定観念が、何ともチープに見えました。ジェームズ・タレルやウォルター・デ・マリアそして安藤忠雄の術中に見事に嵌まったのかもしれません。心理的な眩暈を感じながら辿り着いたモネの部屋で、見慣れた感じのする絵に束の間の安堵感を得ましたが、それも錯覚にすぎないとすぐに気づかされました。自然光を用いているが故に、厳密に言えば実は一時として同じでない睡蓮の池。「変化こそ永遠なのだ。変わらないものに安住してはならない。」とモネがそっと語りかけてくるような気がしました。
●豊島がパブリックマインドと自然観念を揺さぶる
「私たちは、1,000人の住民で、100万人の県民を一人ずつ直接説得するという気の遠くなるような作業に着手しました。」豊島住民の産廃との戦いの歴史を説明しながら、石井氏がそう言ったとき、私は涙を堪えるのに必死でした。行政マンだからこそ分かる行政の冷たさ。しかも豊島住民の前に立ちはだかったのは、悪意さえ感じられる冷たさでした。そんな冷たさを前にしたとき、普通であれば、一人、また一人と心が折れる。事実、100ヶ所座談会の電話案内を行っていた女性は「もう電話をかけるのをやめようか」と何度思ったか分からないと記しています。しかし、その女性をはじめ豊島住民は悲痛な叫びを上げ続けました。かけがえのない故郷の環境を守るため、歯を食いしばって耐え続けました。すでに闘争初期のメンバーの半数が亡くなっている今日、「あなたがたの悲願はやっと実を結びつつありますよ」と壁に貼られた名簿に心の中で手を合わせたのと同時に、行政に身を置くものの一人として、決して犯してはならない過ちを詫びました。「もう二度と、このような思いをする人々を作り出してはいけない。」政治を志す者の一人として、それを常に肝に銘じなさいと教えられました。政治や行政の愚かしさを目の当たりにし、後ろめたい気持ちのまま訪れた豊島美術館は、コンクリートでできたシェルであるにもかかわらず、毒々しい産廃とはまるで正反対のやさしさで包んでくれました。「豊島はやっと前を向いて進んでいける時代になったのかもしれないな。」そう思いながらコンクリートの床の心地良い冷たさを楽しんでいると、時折床から湧き出す水が、ある一定量になると生命を吹き込まれたかのように走り出します。無機の素材で出来ているのに、生命よりも生命らしいことに気づいた瞬間、自分の自然観念が如何に浅薄であるかを思い知らされました。
●そして、福武總一郎先生に発想を揺さぶられる
「保存だけではダメ。在るものを活かし、無いものを創らなければいけない」そう語って、人の営みの永遠性を説いてくれた福武總一郎先生。「直島は、腐った東京や正しいことは何かを考える力を失った日本に対するレジスタンスの道具である」と力説する先生の一言一言が、私の発想を揺さぶります。先生の理想が結実した直島で、先生の理想のルーツを聴く。五感すべてで先生の宇宙スケールの御講演を少しでも受け止めようと努力しているうちに、直島合宿の目的の一つでもある「発想の転換」の端緒を掴んだような気がしました。
●おわりに
濃密な二日間を終えて、直島や豊島を訪れる意義は、「揺さぶられる」ことによって、「今ある自分を意識し、解体し、転換すること」だと思いました。そうであるなら、人はみな直島・豊島に何度も行かなければならないと思います。なぜなら、人は日々の生活の中で知らず知らず固定観念に囚われ、発想が小さな枠に嵌ってしまうものであるから。「俺はここに来るたびに、自分が如何に小さな枠にはまっているかを思い知る」豊島美術館の出口で、私にそう教えてくださった小山事務局長の言葉を最後に綴り、私自身への教訓としたいと思います。